キューブリックが目指したまったく新しい宇宙映画。
映画『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』。
スタンリー・キューブリック監督によるこの名作は、日本では1968年に公開されました。
私は1967年生まれのため、リアルタイムで劇場公開を観ることは叶いませんでした。
ただ、当時発売されていた「ドラゴンブックス」や「ジャガーバックス」などのSF映画特集本を通じて、この映画の存在は知っていました。
そんな『2001年宇宙の旅』を劇場で観るチャンスが巡ってきたのは、1984年(おそらく)のことでした。
リバイバル公開というやつです。当時は高校2年生。『2001年宇宙の旅』自体の難解さに加え、併映が同じくキューブリック監督の強烈な作品『時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)』であったこともあり、鑑賞後は何とも形容しがたい気分になりました。
ただ、映像の凄まじさだけは鮮明に記憶に残りました。
それからさらに時が流れ、再びこの作品をスクリーンで観る機会が訪れました。
2026年の「午前十時の映画祭」で上映されることになり、早速観に行ったのです。
最初の日本公開から58年、半世紀以上の月日が経過しています。
この間、SFXからVFXへと映画の映像技術は目まぐるしい進化を遂げました。
しかし、改めて劇場で観た『2001年宇宙の旅』の映像や登場するメカの造形は、全く色あせておらず、ただただ驚かされました。
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書名:『失われた宇宙の旅2001』
著者:アーサー C.クラーク(著)、伊藤典夫(訳)
出版:早川書房(2000.04)
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著者はイギリス出身で20世紀を代表するSF作家の一人であり、科学解説者。
スタンリー・キューブリックと共同で脚本を執筆した映画『2001年宇宙の旅』の初稿や撮影の裏話を紹介します。
映画『2001年宇宙の旅』の製作にあたろうとするスタンリー・キューブリックの意気込みを紹介します。
<本文引用>------------
スタンリー・キューブリックとの初対面は一九六四年四月二十二日、ところはレストランのトレイダー・ヴィックスだったが、その時期、彼はすでに膨大な量の科学知識とSFを吸収し、空飛ぶ円盤を信じるという危うい方向に傾きかけていた。わたしはこのおぞましい運命から彼を守るため、危機一髪のところで駆けつけたような気がしたものだ。スタンリーははじめから、最終ゴールについてはたいへん明確な考えを持っていて、それに近づく最良の道順をさがしていた。彼が作りたかったのは、この宇宙におけるヒトの位置を描いた映画で――そのたぐいのものは、映画史上かつて存在したことがないどころか、一度も試みられたことはない。もちろん“宇宙”映画はごまんとあるが、クズ同然のものがほとんど。 何作か上手にきちんと作られているものも、内容はどちらかといえば単純、宇宙飛行を子供っぽい冒険ものとして描くのに熱心で、その社会的・哲学的・宗教的な意味まではカバーしきれていない。(本文より)
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従来の宇宙映画を「クズ同然」とし、それまでに全くなかった作品を作ろうとしているのが伝わってきました。
映画のタイトルは『2001: A Space Odyssey』。
<本文引用>------------
プロジェクトの題名は、スタンリーが記者会見で述べた抱負のなかでは『星のかなたへの旅』Journey Beyond the Stars とされた。わたしはこの題名があまり好きではない。いままでSF的な旅行や航海をさんざん見せられて、そういうものに食傷していたからだ(じっさいインナースペース超大作、ラクエル・ウェルチ主演、ほか脇役の赤血球・白血球無慮数万という『ミクロの決死圏』がほぼ同時期に製作にはいっていた)。 ほかに、思いうかんだものの納得がいかなかった題名には Universe(宇宙)、Tunnel to the Stars(星星へのトンネル)、Planetfall(惑星初認)などがある。スタートからようやく十一カ月後――一九六五年四月——―スタンリーが選んだのが、2001: A Space Odyssey(2001年宇宙のオデッセイ)である。わたしの記憶にあるかぎりでは、これはまるまる彼のアイデイアだ。 (本文より)
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スタンリーは『2001: A Space Odyssey』と名付けます。
映画『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』の数あるエピソードのうち、宇宙船の人工知能HALの反乱は有名です。
この「HAL」は企業「IBM」を一文字ずつずらしたものではないか、というお話をよく聞きます。
しかし、著者はしっかり否定します。
<本文引用>------------
また映画では、封切り後まもなく不愉快な根強い神話がひとつ広まったが、よい機会なので、このページを借りてそれを粉砕しておきたい。小説のなかに(16章)はっきり述べられているように、HALは「発見的プログラミングをされたアルゴリズム的コンピューター」 Heuristically programmed ALgorithmic computer の略である(いや、説明はしない。コンピューター・デザインには二つの世界があるが、その最良の部分をかけあわせたというだけにとどめよう)。ところが、週にひとりぐらいずつ、おかしなことを指摘する人間が出てくる。HALがIBMのアルファベットを一字ずつ前にずらした名前であるといいだし、スタンリーとわたしがあの立派な組織にケチをつけていると短絡してしまうのだ。
IBMはいろいろと協力してくれた企業なので、これはたいそう迷惑で、早く気づいていれば、避けて通りたかった偶然である。いや、じっさい偶然なのだ――確率が二十六の三乗、というか一七五七六分の一であるにしても・・・・・・。(いまHALジュニアを使って計算した。ヒューレット・パッカード社の友人たちが、一九六九年のクリスマスにプレゼントしてくれた麗しの9100A計算機である)(本文より)
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映画『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』は1968年にアメリカで公開されました。
一方、本作の原書は1972年に発表されたようです。
で、日本では2000年に出版されています。
<本文引用>------------
それにしても、なぜ一九七二年刊の本がいまごろ出版されるのか? その理由は大きくいって二つある。そのうちのひとつは、いまも変わらぬ題材そのものの魅力だ。映画『2001年』がいかに大きな社会的インパクトを与えたか、それは二○○一年がまぢかにせまったいまでも、D・G・ストーク編『HAL伝説――2001年コンピュータの夢と現実』(早川書房、一九九七)といった本が話題を集めていることからもうかがえるし、日本ではジェローム・アジェル編『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』(ソニー・マガジンズ、一九九八)がようやく出版され、新しい世代にも関心が脈々と受け継がれている。そうした流れのなかで、この本にもあらためて脚光があたってもいいのではないかと考えたのがきっかけである。(本文より)
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私は半世紀以上を経た作品を劇場で観るという貴重な体験をしました。
ストーリー、メカ、撮影技術、そして難解さ。
どれもまったく色褪せていませんでした。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
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■読んだきっかけ:「午前十時の映画祭」で観た『2001年宇宙の旅』
■読んで知ったこと:キューブリックが目指したまったく新しい宇宙映画。
■今度読みたくなった作品:『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』ジェローム・アジェル
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失われた宇宙の旅2001 (ハヤカワ文庫 SF ク 1-32) - アーサー C.クラーク, 伊藤 典夫



