差別に乗っかる人、差別と決別しようとする人。
1996年(平成8年)4月、約90年間にわたり患者の強制隔離を定めてきた「らい予防法」が廃止されました。
長年にわたる隔離政策が人々の尊厳を深く傷つけたことを重く受け止め、日本のハンセン病政策はこの年を境に大きな転換点を迎えます。
実は1940年代の時点で特効薬「プロミン」が登場しており、ハンセン病はすでに完治する病気となっていました。
それにもかかわらず、日本が1996年というごく最近まで強制隔離を継続していたという凄惨な we 向き合わねばならない事実は、法の廃止とともに広く社会へ知れ渡ることとなりました。
そうした意味でも、1996年は日本のハンセン病史において極めて重大な意義を持つ年といえます。
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書名:『あん』
著者:ドリアン助川(著)
出版:ポプラ社(2013.02)
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著者は詩人・作家・道化師。
小さな話の舞台であるどら焼き店を中心に、店主やそこで働く老女性、そして常連客らの姿を通して、社会に根強く残る差別の偏見や日常を描き出しています。
以下は、物語の舞台となるどら焼き店「どら春」の描写です。
<本文引用>------------
どら春には定休日というものがなかった。午前十一時を過ぎれば、毎日シャッターが開く。
千太郎が調理着に腕を通すのは、たいていその二時間ほど前だ。そこから仕込みを始めるのだから、ずいぶんと遅い。本来それでは切り盛りできるはずがなかった。だが、どら春にはどら春なりのやり方があった。
たとえば今朝もまた、千太郎は眠気覚ましの缶コーヒーを飲むと、配送されてきた段ボール箱を足で押して厨房に移動させた。粒あんの入ったポリ缶をそこから取り出し、昨日までの残りのあんと混ぜていくのだ。
違法というわけではないが、まともな菓子屋ならまずやらない作業だった。あんは冷凍すれば保存が効く。短期間なら香りも品質もさほど変わらない。この店はあんのその性質に頼り切っていた。 (本文より)
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店主である千太郎の、いまひとつやる気のない様子が伝わってきますね。
そんなお店に、「ここで働きたい」という老婆・徳江が現れます。
そして千太郎は、彼女のひたむきな姿に少しずつ背中を押されていくことになります。
<本文引用>------------
徳江が他の豆も試してみたいと言いだしたので、千太郎はカナダ産に加え、中国山東省産と米国産のものを業者に融通してもらった。徳江はどの豆もうまく炊き上げた。それぞれ奥行きのある香りを放ちながらどこかに違いもあり、粒の輝きにもその個性が出た。徳江はそれを「面白いね」と言った。
小豆を変えればその分だけ作業も煩雑になる。面倒臭さが先に立ったが、千太郎もまたそれなりに、小豆の炊き上げに気を取られるようになっていた。こんなふうに個性が出るなら、小豆の産地によってどら焼きを種別して売ったらどうか。あるいは羊羹やきんつばなど、あんそのもので勝負する菓子を手がけた方が儲かるのではないか。そんなこともちらりと考えた。(本文より)
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千太郎の、どら焼き作りに対する姿勢が変化していく様子が鮮明に伝わってきますね。
<本文引用>------------
真剣に取り組めば、小豆の向こうにも面白い世界が広がっているのかもしれない。千太郎はそう感じ始めていた。そして、それはとても新鮮な感覚を伴った。だが、冗談じゃないという自分もそこにいた。作家修業に勤しむ日が再びくるかどうかはともかく、少なくとも鉄板の前に立ち続ける生活からはサヨナラしなければいけない。それは絶対だった。
そうした気持ちがあるからなのか、やはり根っから向いていないのか、徳江のいない日に千太郎が一人で試みる粒あんは安定した質感からほど遠かった。少しましになったかと思えば、次は焦げ臭くなったりする。豆をいじり過ぎてとろとろと粘りついたり、逆に水分を飛ばし過ぎてばさつかせたりもした。
だが、ポリ缶のあんを断った以上、徳江のあんが不足しそうになれば千太郎の手製を混ぜるしかない。自分のものとシャッフルしたあんを徳江が味見する時、千太郎は答案用紙を返してもらう小学生のような気分になった。
試食の際、徳江は背筋を伸ばしてスプーンの粒あんを口に含む。宙を睨み、「ちょっと風味が泳いでるよ」と目を動かす。しかしそれで否定するわけではなく、「面白いけどね」と言葉を添える。製あん作業中は異様なまでに細かくなるのに、結果となればむしろその逆で、質感のばらつきを楽しんでいるようなところがあった。(本文より)
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私は本作を予備知識なしで読み始めましたが、読み進めるうちに、「これはハンセン病と、それに伴う差別を扱った物語なのではないか」と察するようになりました。
<本文引用>------------
らい予防法が廃止されたのは一九九六年のことだ。その年、ハンセン病快復者は外出が自由になった。同時に、柊の囲いのなかに入ることができなかった一般市民も、園内を自由に通れるようになった。
とはいえ、ここは百年にもわたって人を飲み続け、また拒み続けた場所だ。千太郎にはこの特異な静けさの底に、地の深くにまでしみ込んだ人々の吐息や無念があるように感じられた。(本文より)
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やがて、千太郎と徳江に別れの時が訪れます。
以下は、徳江が千太郎に宛てて書いた手紙の一節です。
<本文引用>------------
ただ、今は私も店長さんも、そこを乗り越えていかなければなりませんね。嘆いてもしょうがないのです。和菓子の職人として、ぜひここを突破して下さい。
店長さんはいずれ、店長さんらしいアイデアで、ご自分のどら焼きを完成させる人だと思います。私はたしかにずっとあんをこしらえてきましたが、私のやる通りにはしなくてもいいのではないでしょうか。こうしたものは思い切りです。これが自分のどら焼きだと言い切れれば、そこからまた新しい日が始まるのだと思います。どうぞ、ご自分の道を歩まれて下さい。店長さんにはきっとそれができます。(本文より)
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このくだりを読みながら、以前手にとった『教えること、裏切られること―師弟関係の本質』という本を思い出しました。
私が著者を知ったきっかけは、ニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』でした。
その後、NHKのテレビ番組『こころの時代〜宗教・人生〜』に出演されている姿をお見かけし、改めて同氏に関心を持って著書へと辿り着いた経緯があります。
世間の差別や偏見に安易に乗っかってしまう大人たちがいる一方で、そうした差別とはきっぱり決別しようとする大人や子どもの姿も描かれている――。
その存在に、深い救いをもらったような気がします。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
『可視化される差別―統計分析が解明する移民・エスニックマイノリティに対する差別と排外主義』
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■読んだきっかけ:NHK「こころの時代~宗教·人生~」2026年4月5日放送「積極的感受」ドリアン助川
■読んで知ったこと:差別に乗っかる人、差別と決別しようとする人。
■今度読みたくなった作品:『バカボンのパパと読む「老子」』ドリアン助川、フジオ・プロダクション
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