作られたネット炎上、「非実在型炎上」。
私が日ごろ、本来するべきこと以外の余計なことに手を出すと思っている人・組織があります。
1つは「教師」。
勉強のやり方、勉強をすることのメリットを教えてくれればいいものを、「(その教師が考えている)正しい生き方」や、「(その教師が考えている)正しい価値観」を押し付けてきます。
もう1つは「マスメディア」。
起きた事件・事故や、その解説を報道してくれればいいものを、「(そのマスメディアが考えている)正しい政治」や、「(そのマスメディアが考えている)本当の事件・事故の背景」を押し付けてきます。
「教師」と「マスメディア」の厄介なところは自分の“尺”を持っていること。
彼ら彼女らは自分の“尺”を使って、好きなだけ、自分たちの考えている「正しい生き方」、「正しい価値観」、「正しい政治」や、「本当の事件・事故の背景」を押し付けてきます。
自分の“尺”を持たない私は言われるがままです。
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書名:『Voice 2025年5月号』
著者:Voice編集部
出版:PHP研究所(2025.04)
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本誌はPHP研究所が発行する月刊の総合論壇誌。
本号の特集は
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特集:マスメディアの終わり?
特集:トランプ2.0の「見えざる影響」
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です。
論壇番組。
小学校の時、休日にTVをつけると『時事放談』が流れていました。
着物を着たり、バシッとスーツを着た大人というかおじいさんというか、まあ、そんな人たちがとにかく何かを怒っている感じで、何が何だかわかりませんでした。
やがて、中学、高校と進学し、1986年から大学進学のために状況。
そんな大学時代に、あるTV番組がスタートしました。
それが『朝まで生テレビ!』でした。
特集「マスメディアの終わり?」に東浩紀氏(批評家/作家)が寄稿する「熱狂の裏で消えていく健全な言論」。
<本文引用>------------
東 (中略)もう一つ、地上波テレビの論壇への影響力という点で言うと、「朝まで生テレビ」の負の部分は大きいと思う。同番組はバブル期の一九八七年にテレビ朝日で放送が開始され、昨年に放送局がBS朝日に移るまで地上波で放送され続けました。僕も出演したことがありますが、「朝生」の象徴として、一人ひとりのパネリストが音楽の鳴り響くなか、アナウンサーに紹介されながら登場しますよね。その様子は格闘技選手の登場シーンを想起させます。論壇を「ショー」として見せることでメジャーな存在に押し上げようとしたのでしょう。
論壇に注目を集めた功績は認めます。しかし結果として、モンスターのような変人たちが言い争い、それを客席から観て楽しむのが論壇という悪いイメージも定着してしまった。その流れは「ニコ生」やユーチューブなどを経て、昨今の動画メディアの隆盛や「論破ブーム」にも引き継がれています。じつに不毛ですが、これもなかなか変わりません。いずれにせよ、いまの日本の論壇は「ショー」にすぎず、そこで「数」を集められているとしても実際には影響力はない。ユーザーもそのことに気付いていて、言論そのものへの信用も棄損されているのが現代だと思います。(本文より)
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大学時代、友人のアパートに集まって、「朝まで生テレビ」を見ながら、「そうだそうだ!」とは「いや違うね!」なんてやってました。
確かに、硬いはずの論壇番組が、その辺のバラエティ番組よりも面白く感じた点が多々ありました。
こうした「政治のエンタメ化」に対し、東氏は否定的な立場を明確にします。
<本文引用>------------
――昨今、動画メディアやSNSと政治の結びつきも議論されていますが、東さんはどう見ますか。
東 ほとんどの動画メディアがやっているのは、言うなれば政治の「エンタメ化」です。僕はそうした風潮には明確に反対です。面白さや過激さを基準に政治を論じてどうするのか。これは普通の感覚だと思いますが、いまの日本では、そんな当たり前の話さえも通用しなくなっている。「政治とは何か」という感覚からおかしくなっているのでしょう。(本文より)
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マスメディア。
私は、「利用はするが鵜吞みにしない」というスタンスで接しています。
「ネット情報で十分」なんて言う人もいますが、どんな組織・団体・人物が書いたのか?、取材したのかしていないのか?、などなどがわからないネット記事で十分とはとても思えません。
つい最近で起きたフジテレビ問題。
もし、誰かが起こしたら執拗に取材・報道するようなネタなのに、自社で起きた場合はスルー。
そんな姿勢に批判が集まっています。
謝罪会見などもやってはいるようですが、日ごろの他人・他社への執拗な取材に比べると、「あっ、こんなもんなんですね(笑)」って印象です。
<本文引用>------------
――マスメディアが、みずからの姿勢や思想を「訂正」できていないわけですね。
東 日本のマスメディアは全体的な傾向としてリベラ色が強いですが、いわゆる左派の人たちの価値観だけでは世界の動きは捉えきれません。私たちが生きているのは、一つの方向からの見方だけでは説明がつかない時代であり、そうであるならばマスメディアは設定するテーマや起用する識者のレンジを広げなければいけないはずです。米大統領選でも主流の政治学者の話を聞くだけでは不十分で、オルト右翼(白人ナショナリズムの新しい極右勢力)が撒き散らしている陰謀論について詳しい識者の話だって聞くべきです。(本文より)
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東氏の著書『訂正可能性の哲学』 が思い出されます。
昨今の「論破ブーム」。
周囲にも「論破で勝者になること」にこだわるような人はいます。
<本文引用>------------
―― 異なる分野を横断して議論を深められていない論壇の責任だと言えるかもしれません。
東 僕がとくに問題視するのは、「議論の作法」をわきまえている言論人が減っていることです。たとえば、ほかの人が喋っているときに、自分の認識と違うからといって一つひとつ突っ込んでいたら話が進みません。互いに専門が違うのだから、そういう齟齬は無視しないと議論が進まない。この大前提をわかっていない言論人が多すぎます。そればかりか、細かな事実関係や言葉の定義のズレを指摘するのが自分の使命と考えているフシがある。これでは、会話しながら何かを生み出すという議論の主眼に辿り着くはずがないでしょう。(本文より)
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こうして考えてみると、人気番組『朝まで生テレビ!』を見ても、WinWinになるような議論を学ぶのは難しいかもしれませんね、。
ネット炎上。
ニュースでネット炎上した話題が取り上げられることも少なくない昨今。
でも、コロナ禍に発生した「トイレットペーパー不足」なんて、マスメディアがこぞって「大変だ大変だ!棚が空っぽだ!」という報道で煽った成果のように思えます。
特集「マスメディアの終わり?」に鳥海不二夫(東京大学大学院工学系研究科教授)が寄稿する「「非実在型ネット炎上」の実態に迫る」。
<本文引用>------------
二〇二〇年四月二十六日に放送された国民的アニメである「サザエさん」(フジテレビ系列)をめぐり、同番組が炎上したという話題がネット上を駆け巡った。コロナ禍初期の当時、自宅で自粛することが求められていた日本社会において、GWに家族総出で外出する計画を立てるなどのストーリーの話が流れたことを受けて、
ツイッターでは「GWに出掛ける話なんてサザエさん不謹慎過ぎ!」「他に差し替える話は無かったのか?」「サザエさん一家が呑気に家族総出で外出しとるん観るとなんか腹立つわ」などと、本気とも冗談ともつかないながらも批判のコメントが多数飛び出した。
という記事が「デイリースポーツ」のWEB版に掲載されたことがきっかけだった。ところが実際には、このときにTwitter(現X)上で「サザエさん」のその話が「不謹慎である」などとするツイートは、ほとんどなかったのである。(本文より)
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鳥海氏が得意のデータ分析で、その「サザエさん炎上」の中身に迫ります。
<本文引用>------------
筆者がこの期間のデータを調べたところ、四月二十六日十八時半(「サザエさん」放送開始時刻)から二十二時(「デイリースポーツ」記事配信時刻)までのツイートから、「サザエ」の単語が入るものは、リツイートを含めて二万一一一五件あった。個人的には「サザエさん」について二万件を超える言及があったことに衝撃を受けるが、それはさておき、このなかに同日の「サザエさん」の内容に対して腹が立ったユーザはいたのだろうか。
そこで「サザエ+腹立つ」で検索すると、二件のみがヒットした。「GWの旅行を立てていて腹が立つ」「サザエさんがお気楽過ぎて腹が立つ」というものであったため、たしかに「サザエさん」に対して(本気かどうかはさておき)腹が立っているツイートであることは間違いなかった。一方、「不謹慎」については、十八時半から二十二時の直前までで四四件存在した。そのうち一一件のツイートが「不謹慎」を含み、かつジョークとは断定できないものだった。二万件以上あったうちの一一件であり、これは全体の〇・〇五五%にすぎない。一般的な炎上事例に比べて非常に少ない数である。
一方、同日二十二時に「デイリースポーツ」の記事が掲載されると、「サザエさん+不謹慎」のツイートは一気に増加し、翌二十七日十二時までに一万五四六二件のツイートとその拡散が確認された。しかし、その中身のほとんどは「不謹慎という炎上があるらしいけど、不護慎というほうがおかしい」など、「サザエさん」の内容に対して不謹慎だという意見に対する反論だった。したがって、これはほぼ実在しない「不謹慎と言った人たち」に反論するかたちで炎上がつくられたと言ってよいだろう。まさに非実在の炎上に対する炎上である。(本文より)
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まさに、「作られたネット炎上」ですね。
こうした炎上を鳥海氏は「非実在型炎上」と定義します。
<本文引用>------------
1.存在しないまたはごく少数の事象Aについて、
2.まるで炎上しているかのように取り上げる記事Bが存在し、
3.事象Aに対する反論によってその記事が炎上した
ことを、「非実在型炎上」と定義するのがよいだろう。(本文より)
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マスメディアが「ネット炎上してます!」という報道が「非実在型炎上」に該当するものばかりにならないことを願うばかりです。
でも、この「非実在型炎上」。
これってまさに「フェイクニュース」なのかなあって思います。
私には、読みたい本リストに入っているもののまだ読んでいないたくさんの本があります。
そんな本の一冊『1インチの攻防──NATO拡大とポスト冷戦秩序の構築(下)』の著者、M.E.サロッティ氏(ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院教授)へのインタビュー「巻頭インタビュー ウクライナ戦争は「歴史の必然」ではない」。
<本文引用>------------
――あなたは本書の日本語版への序文で、プーチン大統領がウクライナに対して何らかの暴力を振るうだろうと予測していたと書いています。なぜそのように確信していたのでしょうか。
サロッティ プーチンは自身の誕生日や記念日を、実際の流血やサイバー上の暴力で祝うことを好みます。たとえば、アンナ・ポリトコフスカヤというロシア人女性は、残忍なチェチェン紛争の現場に立ち入り、そこで行なわれている戦争犯罪を報道しました。じつに勇敢で貴重なジャーナリストでしたが、残念なことに二〇〇六年十月七日、自宅アパートのエレベーター内で射殺されました。その日はプーチンの誕生日です。こうした事実をふまえ、プーチンがウクライナに対してずっと大人しくしていると考えるほうが不自然ではないでしょうか。
二○二一年初め、私はロシアのウクライナ侵攻の可能性について警踊を鳴らす論説を、どこかの媒体に掲載してもらおうと考えました。ところが、英語圏のすべての主流メディアに掲載を拒否されてしまった。プーチンはまるで暴力で復讐する憎悪に満ちた元恋人のように振る舞っている、という内容です。ですから、その翌年の二二三年二月二十四日にロシアが侵略戦争に踏み切ったとき、私はまったく驚きませんでした。なおその後、論説の掲載を断ったすべてのメディアから「拒否したわけではなかった」という釈明の連絡をもらいました。
歴史学とは過去を理解するだけでなく、未来を正しく理解するうえで有用な手法です。だから私は、ロシアのウクライナ侵略について警鐘を鳴らす論説の発表をメディアにもちかけました。詳細な歴史研究は、この世の中のパターンを認識するのに役立ちます。もちろん未来を正確に予測することは難しいですが、どのような備えが必要かを示唆することはできるでしょう。(本文より)
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人にランダムな行動をさせるのは難しいと言われています。
それは、何らかのその人その人のクセや法則性が出てしまうから。
歴史って、その国や指導者のクセや法則性なのかもしれませんね。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
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■読んだきっかけ:『Voice 2025年4月号』Voice編集部
■読んで知ったこと:作られたネット炎上、「非実在型炎上」。
■今度読みたくなった作品:『Voice 2025年6月号』Voice編集部
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