ルターと法然の類似点と相違点。
神社へのお参りを始めとする神道もあれば、仏教によるお葬式もあり、結婚式や年末にはキリスト教が入り込んでいる日本。
今の日本の宗教観は、もともとの宗教観に他の宗教観の良い部分を次々に取り入れてきた結果なのではないかと思っています。
私は現在、新宿で勤務しているサラリーマンです。驚くほど多くの外国人観光客に出会い、皆さん観光旅行だからなのか、笑顔が印象的です。
さまざまな国の人々が笑顔を見せているのには、このような日本の宗教観が一役を担っているのではないか、と感じています。
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書名:『ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか』
著者:竹沢尚一郎(著)
出版:中央公論新社(2023.10)
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著者は国立民族学博物館名誉教授。
宗教の誕生から現在至るまでの変容を解説します。
宗教と切り離せないのが「死の世界」。
人はいつから「死の世界」を意識するようになったのか。
<本文引用>------------
ホモ・サピエンスがつくり出したもののうち、宗教的な観点から興味深いのは埋葬形式の変化である。モスクワの東部の二万八〇〇〇年前のスンギール遺跡では、一万数千個の象牙のビーズで覆われた三体の遺骨が発見されており、その制作には数千時間という膨大な時間がかかったと推測されるので、生前に高い地位をもっていた死者に対する副葬品であったと考えられている。このこと が示唆するのは、ホモ・サピエンス社会がその初期から貧富の差や階層制をともなっていたことであり、彼らが「死者の国」ないし「あの世」といった生者の生きる世界とは別の世界の存在を信じるようになっていたことであり、身体から切り離されうる「魂」もしくは「生命原理」の存在を共通して理解するようになっていたことである。私は宗教の起源が、集団に統一感と帰属意識を高め るための祝祭ないし類似の実践にあったと考えているが、ホモ・サピエンスの誕生とともに死者の存続や生命原理の観念がつけ加えられたのであり、それによって宗教はより複雑な形態をもつようになったのだった。(本文より)
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28000年前には、人は「死者の国」を意識し、更に「地位による埋蔵の差別化」を行っていたのは興味深いです。
キリスト教。
<本文引用>------------
ユダヤ教の伝統的な教えでは、らい病患者や罪人などは汚れた人間のカテゴリーに入れられ、彼らと同席して食事を共にすることは禁止されていた。しかし、弱い者、傷つきやすい者に対してイエスが示した心からの共感は、そうしたユダヤ教の律法の教えを超えるところまで達していた。 そのため、彼を慕ってやってくる人びとの数は増えるばかりであった。(本文より)
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当時、すでにあったユダヤ教ではカバーできない層をキリスト教が獲得していったんですね。
こうして巨大化していったキリスト教。
そんなキリスト教にも変化が起きます。
それがルターの宗教改革。
<本文引用>------------
この公開質問状は、ルターとしてはキリスト教会を腐敗から守り、義のあるものにしようとする宗教心や忠誠心から出た行為であり、ローマに反旗をひるがえすほどの意図はなかったようだ。しかし、事態は彼の思惑を超えて進んでいった。まず、彼の行為が多くの民衆の支持を得たことだ。民衆の多くは教会に十分の一税を支払わされていることに加え、ことあるごとに金銭を要求されてい たことで、キリスト教会に対する反感は根強いものがあった。とはいえ、民衆の側からすれば、宗教的な権威と救いの手段を独占する教会にたてつくことは不可能であった。そこに、教会に対して 公然と疑問をつきつけたルターの公開質問状が飛び出したのであり、人びとはそれに喝采をおくった。一五一七年から一五二〇年までにルターの著作は三〇万部を売り上げたが、その背景にあった のは人びとの不満の根深さであった。(本文より)
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でも、これはキリスト教に限った話ではありません。
それが日本における仏教です。
その変化を巻き起こしたのが法然です。
<本文引用>------------
極楽浄土に住生するためには、他の宗派がいうような寺院や仏塔の寄進をすることも、仏典を深く学ぶことも、戒律を遵守することも、知識を深めることも必要不可欠ではない。一身に称名を念じることは容易な行ではあるが、阿弥陀仏が万人を救済するために用意してくれた行(=本願)なのだから、それをおこないさえすれば浄土へ導いてくれるはずだ。法然はそう説いたのである。彼の教えがいかにラディカルであったかがわかろうというものだ。
極楽浄土に往生するか否かを決めるのは、絶対他力の阿弥陀仏の一存であるのだから、意図的に善行を積み重ねる必要はない。誰もが一心に念仏を唱えたなら往生できるのだから、僧侶の仲介も必要ではない。それまで仏教が排除していた女性や非人、身体障碍者、らい病患者、殺傷をおこなう漁師や猟師であっても往生することができるし、死の穢れとして忌避されていた臨終の床にある 人にも念仏を勧めることができる。こうして法然は万人救済の教えを果敢に説いたのだった。(本文より)
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当然、既存の仏教勢力は法然を攻撃します。
<本文引用>------------
こうした彼の教えは、当然予想されるように既成仏教の側から猛烈な反発を招いた。一二〇四年には比叡山の僧徒が、天台座主に専修念仏の禁止を朝廷に進言するよう求めた。それに対し、法然は一九〇人の弟子を集めて、他宗の批判をいさめるなどの「七箇条制誠」を誓約させることで事をおさめようとした。しかし事はおさまらず、一二〇七年には四名の僧の死罪と、法然と親鸞をはじめとする主だった弟子の流罪が決定された。すでに七五歳であった法然は土佐に流刑とさだめられたのだ。(本文より)
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しかし、著者はルターと法然の相違点も指摘します。
<本文引用>------------
むしろルターらにあって法然らになかったのは、倫理性ではなく、宗教改革運動を弾圧したカトリック勢力に対抗してルターらを守った領邦君主の動きであった。つまり、ドイツやネーデルラントでは複数の教派がたんに併存していただけでなく、改革派に世俗権力が加わることによって教派化が生じ、同一のイデオロギーによって結ばれた複数の政治勢力が競合する状況が生まれていた。 これが主権国家の成立をうながす一方で、その内部で「社会的訓練」や「訓育革命」をもたらして、 民衆倫理の確立と国力の増強につとめさせていたのである。このことが資本主義の成立につながる 主要要因のひとつであったことはすでに見た。一方、日本では農民や在郷の武士がくり返し一向一揆をおこしたが、世俗の領邦君主がそれに加わることは一度もなかった。もし加賀で発生して、百年にわたって百姓支配を築いた一向一揆に、越前の朝倉氏や越後の上杉氏が加わることがあったなら、織田信長の天下平定の試みはもっと困難になっただろうし、真の意味での教派化と複数の主権国家が日本に生じていたかもしれなかった。その場合には日本の歴史も大きく変わっていたと思われるが、それは生じなかったのだ。(本文より)
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政治権力に近づくか、政治権力と距離を置くか。
こうしてみると、まったく異なる側面が見えてきます。
私が毎週読んでいる「日経ビジネス」。
本誌には本を紹介するコーナーがあり、必ずチェックしています。
今回取り上げた本は「日経ビジネス 2024年9月23日号」をきっかけに手に取りました。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
『ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか』
『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』
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■読んだきっかけ:日経ビジネス 2024年9月23日号
■読んで知ったこと:ルターと法然の類似点と相違点。
■今度読みたくなった作品:『大航海時代の日本人奴隷』ルシオ・デ・ソウザ
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