「ポスト・トゥルース社会」を1951年に予言したようなハンナ・アーレント。
大学生だった1987年。
私の住んでいた6畳一間の1Kアパートは、2階建てで、上下階が6部屋ずつ。
私の住んでいた2階が、私を含め、中大同期生が4人と、まあ、寮みたいな感覚もあって、結構快適でした。
同期の一人のTさんは社交性もあり、部屋にはいつもいろんな人がいました。
ある夜、Tさんの部屋ではTVを見るために6人ほどが集まっていました。
しかし、その割にはずいぶん静か。
なんか気になって、私が覗いてみると、みんなで同じ番組を見て涙を流しているのでした。
その番組とは、日本テレビ年末時代劇スペシャルの『田原坂』でした。
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書名:『Voice 2024年4月号』
著者:Voice編集部
出版:PHP研究所(2024.03)
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本誌はPHP研究所が発行する月刊の総合論壇誌。
本号の特集は
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特集:デジタル帝国が変えた世界
特集:自民党政治の落とし穴
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です。
インターネットの浸透でますます進んでいるデジタル社会。
そんなデジタルを国家運営に駆使するのがデジタル帝国。
特集「デジタル帝国が変えた世界」に福田充氏(日本大学危機管理学部教授、日本大学大学院危機管理学研究科教授)が寄稿する「フェイクと陰謀論が民主主義を破壊する」。
<本文引用>------------
ナチスドイツのヨゼフ・ゲッベルス宣伝大臣は「嘘も百回言えば本当になる」と述べたが、これはプロパガンダで用いたデマゴギーも、何回も繰り返して言い続けることで、社会において信じる人が増えれば「社会的な真実」になるというプロパガンダの鉄則を意味している。つまり、「何がファクトか」が大事なのではなく、「人びとが何をファクトだと信じているか」が大事な社会が「ポスト・トゥルース社会」である。(本文より)
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「ポスト・トゥルース社会」。
この言葉を知ったのは2021年に読んだリー・マッキンタイアの『ポストトゥルース』ですが、もうすっかり定着した感があります。
與那覇潤氏(評論家)が寄稿する「総検索社会がつくる「新しい全体主義」」。
<本文引用>------------
ネット検索は「すべての情報源をまんべんなく」サーチしてくれると思われがちですが、実際にどんな情報が拾われるかは、入力する語句を選んだ時点ですでに決まっている。だから「検索結果」とは、じつは検索する前か調査者が思い込んでいた、先入観の写し絵に過ぎない。そうした危険に、私たちは敏感であるべきでしょう。
近日の懸念は、こうした「総検索社会の副作用」が個人にまで及びつつあることです。SNSでの炎上や、YouTubeでの暴露、週刊誌の報道などを機に「ある人のイメージがネガティブな方向へ一気に急転する」といった事態が目立つようになりました。
その人が高く評価されていた時期には、人名に「人気」と添えて検索していた。 しかし印象の悪いニュースを目にするや、むしろ「炎上」「最低」などの語彙とともに検索し、ネガティブな側面を新たに「発見」しては拡散してしまう。そうした例が増えています。
そんな状況に慣れすぎた結果、「AIが人間に近づく」というシンギュラリティの予言とはむしろ逆に、いまや「人間がAI
に近づく」現象さえ見られます。たとえばChatGPTがネット上の膨大なテキストデータをもとに「現時点では、この用語のあとには大体こうした表現が続く」といったサンブルを集める手法で、最大公約数的な回答文を生成することはよく知られています。
私たちもまた「いまは、この人はネガティブ・ワードとセットで検索される」といった風潮をなぞり、得られ検索結果に満足して、あたかも「正しい評価」を下し気になってしまう。検索社会にはそうした、人間の「ChatGPT化」を促す側面があります。
以前は「それって誰が言ってたの?」に対し、「TVが言ってた」というのをよく聞きましたが、最近は「ネットで言ってた」が増えたような気がします。
同氏は、こうした状況を早くから指摘されていたとして、ある本を取り上げます。
それが、 ハンナ・アーレントの『全体主義』です。
<本文引用>------------
なぜ近代の先進地域だったヨーロッパで、ナチスの蛮行が生まれたのか。それを考察したハンナ・アーレント『全体主義の起原』(原著一九五一年)もまた、今日のネット社会を予言したかのような一節に満ちています。
「人間というものは、アナーキックな偶然と恣意に為す術もなく身を委ねて没落するか、あるいは一つのイデオロギーの硬直し狂気じみた首尾一貫性に身を捧げるかという前代未聞の選択の前に立たされたときには、必ず後者の首尾一貫性の死を選び、そのために肉体の死をすら甘受するだろう」(訳文はみすず書房、三巻八二頁)
世界があまりに不条理に感じられ、生きる意味がわからなくなったとき、もし「首尾一貫」したかたちで説明してくれるイデオロギーがあるなら、狂気と言われようとも人はそれに飛びつく。ネットなき時代に「検索魔」だったヒトラーが支持された背景を分析するこの文章は、今日の陰謀論の流行を説明するものにもなっています。 (本文より)
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ハンナ・アーレントの『全体主義』は読みましたが、こんな大事な一説があったのは気づきませんでした。(私の読みの浅さを思い知らされたようです。)
ハンナ・アーレントは全体主義の実現には「大衆の後押しが必要」だと指摘しています。
大衆が何かを後押ししたくなるような状況が危険なんですね。
<本文引用>------------
たとえば誰かと縁を切るのには、それほど時間を必要としません。しかし誰かとの縁を始めるには、非常に長い時間がかかる。「お前なんてもう友達じゃないぞ!」と怒鳴りつければ、その瞬間に相手は友達でなくなりまが、しかし「僕と君とは友達だ!」と叫ぶことで、一瞬で相手と友達になることはできないのです。
検索機能を使って相互に叩きあう社会では、攻撃する側ほど時間が速く流れるので、「勝ち残りたい」という欲求の強い人ほど時間のかからない選択、すなわち「縁を切る」タイプの行動に偏っていきます。だから少しでも意見の違う人を見たとき、「この人は完全にではなくても自分の味方にできる人では」と熟考するのではなく、「違うからこいつは敵」と認定して切り捨てる。
結果として、幅の広い相手とつきあうことができて、意見の食い違いがあっても場を壊さずにまとめられるといった、かつて「成熟」の指標とされた人間像がいま、成り立ちにくくなってはいないでしょうか。先進国ほどよく指摘される「価値観の分断」「政治の二極化」といった現象は、その表れに過ぎません。(本文より)
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交流を作り上げることの大変さを改めて思い出したいですね。
呉座勇一氏(歴史学者/国際日本文化研究センター助教)の「連載「日本史は「敗者」に学べ」」。
今回の第三回は「西郷隆盛(後編)」。
西郷隆盛と言えば『田原坂』ですね。
<本文引用>------------
明治維新の立役者である西郷隆盛が明治十年(一八七七)に起こした西南戦争は、最大にして最後の士族反乱、さらに言えば日本最後の内戦である。現役の陸軍大将である西郷の挙兵は、当時大きな衝撃をもたらしたが、後世から見ると、この挙兵は明らかに無謀であった。西郷軍の当初の軍費が約七〇万円であったのに対し、政府軍は約四一六〇万円と大差があった。また西郷軍には海軍がなかった。常識的に考えて、勝てるはずがない戦いであった。
このため、小説やドラマなどでは、若い士族たちの熱意に押されて、死を覚悟して西郷が挙兵を決意する場面がしばしば描かれてきた。実際、同年三月十二日に熊本の西郷が鹿児島県令の大山綱良に宛てた書簡では、今回の戦いは勝敗を度外視しており、理念に殉じて死ぬつもである旨が記されている。
しかし右書簡は、熊本攻城戦が思うようにいかない時点で出されたものである。後述するように、決起した段階での西郷は、勝算は十分にあると認識していた。
西郷はどこでどのように判断を誤ったのか。本稿では、征韓論争で敗れて下野した時点に遡って考察していく。(本文より)
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『田原坂』で描かれる西郷隆盛の戦略や作戦。
<本文引用>------------
もう一つの戦略ミス
西郷のもう一つの戦略ミスは、決起に大義名分を欠いていたことである。前述のとおり、西郷軍は西郷暗殺計画について政府に「尋問」するという名目で進軍を開始した。これでは、西郷が大久保に対する私怨を晴らすために決起したと受けとられかねない。この点、同じ士族反乱でも、佐賀の乱を起こした江藤新平や萩の乱を起こした前原一誠は、世論を無視する大久保政権の専横を糾弾しており、西郷とは対照的である。
なぜ西郷は、大久保政権の独裁的性格を批判するかたちで挙兵しなかったのだろうか。これは、一口に反政府勢力と言っても、その内実が多様であったことが影響していると思われる。大久保を批判する声は少なくなかったが、その理由はまちまちで、大久保政権の西洋近代化路線に反発する守旧派もいれば、立憲政治を求める開明的な民権派もいた。 西郷はあえて単純なスローガンを掲げることで、多種多様な勢力を引き付けようとしたのではないか。
加えて、明治政府成立に多大な貢献を果たした西郷にとって、政府転覆は避けたい事態であり、天皇への反逆と受け止められることも苦痛だった。挙兵の動機を大久保との個人的対立へと意図的に矮小化することで、武力革命の色彩を弱めたと考えられる。
けれども、体制の打倒を堂々と宣言しない不徹底さは、求心力の不足につながった。「尋問」だけが目的ならば、西郷が二、三の幹部を引き連れて上京すれば良いのであって、大軍を動かす以上、それに見合った大義名分を用意すべきであった。西郷の覚悟の不足、中途半端さが敗因の一つであろう。(本文より)
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さすが呉座氏。
歴史検証を踏まえ、冷静に指摘してくれています。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
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■読んだきっかけ:『Voice 2024年3月号』Voice編集部
■読んで知ったこと:「ポスト・トゥルース社会」を1951年に予言したようなハンナ・アーレント。
■今度読みたくなった作品:『Voice 2024年5月号』Voice編集部
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