『「あっ、忘れてた」はなぜ起こる ―心理学と脳科学からせまる』

意図再認と存在想起と内容想起の3つが揃って実現する正確な事務。


以前の職場で、某大手金融機関の事務センターの運営にかかわったことがあります。

やっていた業務は郵便で受け付けた名前や住所などの情報をパソコンに入力する業務。

5人のオペレーターで運用していましたが、結婚や出産などでベテラン2名が退職。

なんとか新人を入れて人数は確保したのですが、案の定、ケアレス・ミスが続きました。

すると、クライアントであるセンター所長(大手金融機関の部長クラス)が激怒。

そして「俺が考えた改善策をやれ!」と言ってきました。(業務委託でこれはマズイのですが昭和べったりオヤジには通じないんですよね・・・)

どんな改善策かというと、それはミスをした人間の名前を社員全員が見える壁に大きく貼りだすというもの。

私が「名前を貼られた人間がまたミスをしたらどうしますか?」と聞くと、所長は「名前の横に大きく×をつけろ!また間違えたらもう一つ×をつけろ!×が多い人間がダメなやつだ!」と言いました。

所長曰く「それをやれば貼られた人間は居たたまればくなってミスをしなくなるはずだ」なのだそうです。

結果、予想通り、新人2名は辞め、やがて残りの3名も間もなく辞めました。

やがて、その業務委託は終了。

その後、その金融機関の業績悪化やリストラのニュースを見るたびに、そのセンター長、センター長の改善策に「おっしゃる通り! お前ら委託先なんだからやりゃいいんだよ!」言っていた部下の人たちの顔を思い出します。


――――――――――――

書名:『「あっ、忘れてた」はなぜ起こる ―心理学と脳科学からせまる』

著者: 梅田聡

出版: 岩波書店(2007.07)

――――――――――――


著者は、認知神経科学を専門とする慶應義塾大学の准教授。

いわゆる「うっかりミス」を科学的に検証します。


「うっかりミス」。

人がミスをすると、ついつい使ってしまうこの言葉。

でも、心理学者の手にかかると、この「うっかりミス」にはいろいろ種類があるようです。


<本文引用>------------

本書で取り上げる「あっ、忘れてた!」という経験は、記憶として蓄えられている情報を思い出す際の失敗、すなわち想起の失敗であり、広い意味では「うっかりミス」の一種と位置づけられるものである。しかし、「あっ、忘れてた!」というタイプのエラーは、他のタイプの「うっかりミス」とは質的に異なるものであり、その原因も対処方法も異なる。そこで、まずはじめに、さまざまなタイプの「うっかりミス」について、例を挙げながら心理学的な視点から詳しく考えてみたい。誰にでも身に覚えのありそうな、次の例から始めよう。


 (A1)人に頼まれた用事を(うっかり)忘れてしまった。

 (A2)帰り道で封筒をポストに投函しようとしていたのに(うっかり)忘れてしまった。

 (A3)出がけにビデオの録画予約をしようと思っていて(うっかり)忘れてしまった。

 (A4)用事を思い出して台所に行ったのに、その用事をするのを(うっかり)忘れてしまった。

 (A5)何か言おうとしていたことがあったのに(うっかり)忘れてしまった。


これらの例(タイプAのエラーとする)は、いずれも「やろうと思っていたことを忘れてしまった」というタイプのエラーであり、括弧に入れた「うっかり」という修飾語がふさわしい失敗例といえる。「うっかり」という修飾語は「「浮かり」から派生したといわれ、一時的に浮かれていた、つまり注意が欠けていたり、ぼんやりしていたことを表すことばといえるだろう。英語でabsent-minded errorと呼ばれているように、このタイプのエラーの原因は、まさに「心ここにあらず」の状態であったことにある。本書で取り上げる「あっ、忘れてた!」というタイプのエラーは、このタイプAのエラーである。

タイプAのエラーで対象とされる行為の記憶、すなわち「これからやろうとしている行為の記億」は、専門的には展望記憶と呼ばれており、他のタイプの記憶とは区別されている。記憶というと、一般には、過去に起こった出来事や過去に覚えた知識のことを指すことが多い。しかし、日常生活に使う記憶についてあらためて考えてみると、この「展望記憶」が非常に多くの場面で必要とされ、我々の生活においてとても重要な役割を担っていることに気づくだろう。この「展望記憶」をさまざまな面から徹底的に分析することが本書のメインテーマである。「展望記憶」はprospective memoryの訳語であり、「前を(pro)見る(spect)ような性質をもつ(ive)記憶」という意味からきている。(本文より)

------------------------


「うっかりミス」

①し忘れ(あっ、忘れてた!)(Aをやるのを忘れてしまった)

②し間違い(あっ、しまった!)(AをやろうとしてBをやってしまった)

③ど忘れ1(過去やったことが思い出せない!)

④ど忘れ2(過去覚えたことが思い出せない!)


③と④の違いがちょっと分かりにくいのですが、③は「鍵をどこに置いたのか忘れてしまった!」で、④は「(普段は覚えているはずの)パスワードを忘れてしまった!」。

こう考えると確かに③と④は違いますね。


本作が扱う「うっかりミス」は「①し忘れ(あっ、忘れてた!)(Aをやるのを忘れてしまった)」です。


著者は「うっかりミス」とはならないケースをモデル化します。


<本文引用>------------

では、そもそも我々が「やろう」と思っていたことを実行するためには、いったいどんな能力が必要とされるのだろうか。「し忘れ」を科学的に分析する際に重要なのは、その人がどんな情報を思い出せていたかを正確に把握することである。

「やろう」としていたことを実行するために必要とされる最も基礎的な能力は、ある行為を意図した、あるいは計画したということを覚えておくことができる能力である。つまり、「やろう」という意図そのものを覚えておく能力である。本書では、これを意図再認の能力と呼ぶことにする。これは、あくまでも「覚えておく」能力、つまり「保持」の能力であり、タイミングよく思い出す「想起」の能力とは異なる。たとえば、「帰りがけに台所の電球を買おう」という意図をもったとする。この場合、意図再認とは「電球を買おうと意図したことを覚えておく」能力のことを指す。「それを忘れてしまっては、元も子もない」と思われるかもしれない。しかし、それが前提とされる最も重要な能力なのである。

この前提が満たされたとき、次に必要となるのが、意図した行為を想起する段階における、以下の二つのプロセスである。ひとつは、想起しなければならないときに、「何かやらなければいけないことがある」ということを思い出すことである。これを本書では存在想起と呼ぶことにする。もうひとつのプロセスは、実際にやらなければいけないことは何かを思い出すこと、つまり内容想起である。(本文より)

------------------------


「やろう」という意図そのものを覚えておく能力、「意図再認の能力」。

そして、想起しなければならないときに、「何かやらなければいけないことがある」ということを思い出す能力、「存在想起の能力」。

最後は、実際にやらなければいけないことは何かを思い出す能力、「内容想起の能力」。


①意図再認の能力

②存在想起の能力

③内容想起の能力


この3つの能力のどれか一つが欠けても「うっかりミス」が発生するというわけなんですね。


著者は「うっかりミス」を再現するための実験モデルを構築、実際に実験結果を分析します。


<本文引用>------------

具体的な手続きは以下のようなものである。まず、実験者は参加者に「午前八時に売店で雑誌を買う」、「午後七時に駅で友人と会う」などのような日常的な行為を複数覚えてもらう。その後、一時間六に縮めて高速で回転するコンピュータ画面のアナログ時計上で、「何かを行うべき時刻になったらキーボードのスベースキーを押して時計の動きを止め、その時刻に実行すべき行為を時刻とともに報告する」ように参加者に指示した(図3)。つまり、「午後七時に駅で友人と会う」の場合には、アナログ時計が午七時を指したときにまず時計を止め、「午後七時に友人と会う」ということを口頭で答えなくてはならない。時計を止めた後、口頭で行為の内容を報告する制限時間は一五秒とした。

このような方法を用いることにより、参加者には、あらかじめ覚えておいた予定を思い出すタイミングが求められる。またこの課題を用いることにより、「何か行うべき行為があったことは覚えているが、その内容は覚えていない」というような情報の部分的想起についても知ることができ、参加者の「存在想起」および「内容想起」の能力について、個別に調べることができることになる。この実験に参加してもらったのは、平均年齢二二・三歳の若者(大学生・大学院生)と平均年齢五三・一歳の壮年(現在の仕事に就いてから五年以上経過している社会人)、それぞれ三〇名であった。

この実験の結果、想起のタイミングが必要とされる時刻想起成績(時計停止)には年齢群による差が見られなかったのに対し、行為内容の想起成績(内容想起)は若年群の方群よりも優れていることが示された(図4)。この結果をどのように考えたらよいのだろうか。(本文より)

------------------------


しかし、いつもながら、心理学者の実験モデルを作る想像力には頭が下がります。


<本文引用>------------

あとで思い出せるように外部的に記憶の補助を用意することは、多くの場合有効であるが、常に有効とはいえないのである。記憶の補助を作成する場合には、それに再度接したときに、ある特定の行為(しようと思っている行為)の想起を確実に促す必要がある。ただ補助を用意して安心するのではなく、補助を用意する際に、それが本当に役立つかを考える必要がある。重要なことは、日常的な習慣として必ず遂行している行為の中に、いかに目立つように埋めかである。毎朝、朝食をとるために必ずテーブルにつくのであれば、テーブルの上に目立つものを置いておくのは確実性の高い方法である。一方、毎朝手帳を見る習慣がないのであれば、手帳に書いておくことは確実な方法とはいえない。

こうした知識、すなわち「日常的な“し忘れ”は、誤った環境デザインが原因で起こる」ということを知っておくことは、そうしたミスを防止することに役立つ。しかし、知識をもっていることと、それをうまく活用することとは、別の問題である。記憶補助の使用法や日常環境のデザイン方法は、人それぞれに「自分に合った」ものがあるはずである。それをうま見つけ出すのは、先に述べた「セルフモニタリング」なのである。(本文より)

------------------------


本作では外部に記憶の補助を設けることで、「うっかりミス」を防ぐには一定の効果があるとされています。

しかし、それだけで、防げるわけではなく、環境デザインも影響も大きいようです。


仕事でも大いにヒントになりそうな「うっかりミス」の研究。

著者の他の著書も読んでみたくなりました。



◆頭の中でシンクロした他の完読作品

『「あっ、忘れてた」はなぜ起こる ―心理学と脳科学からせまる』

『記憶する体』 


――――――――――――

■読んだきっかけ:『記憶する体』伊藤亜紗

■読んで知ったこと:意図再認と存在想起と内容想起の3つが揃って実現する正確な事務。

■今度読みたくなった作品:『し忘れの脳内メカニズム』梅田聡

――――――――――――


921_「あっ、忘れてた」はなぜ起こる.png


「あっ,忘れてた」はなぜ起こる-心理学と脳科学からせまる (岩波科学ライブラリー) - 梅田 聡
「あっ,忘れてた」はなぜ起こる-心理学と脳科学からせまる (岩波科学ライブラリー) - 梅田 聡









この記事へのコメント