「遺伝的な自分」と「セントラルドグマ」。
私はこれまでに2組の一卵性双生児とクラスメートになったことがあります。
そのうちの一組は小学校の時のクラスメートで、とても記憶に残っています。
父親は当時清水港に拠点があった一部上場企業の造船部門に勤務している人。
もちろん、山を切り開いて新たに出来上がった新興住宅地の住民で、いわゆるエリート層の人。
記憶に残っている理由ですが、初めて遭遇する双子というのもあるんですが、驚きなのは、その能力。
小学校のサッカーでは、走力、持久力もほぼ同じで、二人は左右のハーフ(当時は、フォワードとフルバックの間のポジションをこう呼んでました)。
学力もほぼ同じで、私と異なり、高校も静岡市内で2番目に頭のいい高校へ。
兄弟は大学受験でこそ浪人(二人とも!)したものの、兄のほうは東京芸術大学、弟の方は東京工業大学と、二人ともすごい大学に進学。
彼らが大学に合格した時に電話して以来、接点はなくなってしまったのが残念です。
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書名:『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
著者:安藤寿康
出版:講談社(2023.06)
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著者は双生児の研究による多数の遺伝に関する著書を発表している慶應義塾大学文学部名誉教授。
遺伝と能力の関係を解説します。
遺伝的には、似ていて、それでいて、異なるという人間。
まずは、似ているという根拠。
<本文引用>------------
なぜなら遺伝現象を担う物質DNA(デオキシリボ核酸)をつくりあげている4つの塩基A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の配列を一人ひとり比べてみると、99%まで等しいからだ。このことは2001年に終結したヒトゲノムプロジェクトの成果として、クレイグ・ベンターによって報告された興味深い結果だった。(本文より)
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「99%同じですね」と言われて、「似ていない!」と答えるのは難しです。
では「みんな同じようなもの」かというと、どうもそうではないようです。
<本文引用>------------
これはあらゆる生命をつくり上げている物質であるタンパク質を合成している部品にあたる必須アミノ酸20種類が、どんな塩基配列にコードされているかを表したものだ。 塩基は3つ揃いで1種類のアミノ酸に対応している。これを「コドン」という。CGTならアルギニン、GCTならアラニン、GATならアスパラギンといった具合だ。ご覧のように似たようなコドンが同じアミノ酸に対応しているものが多い。とくに3文字目が置き換わっても同義語になりやすい。しかし、たとえばCGTの2文字目のGがAに置き換わりCATになるだけで、アルギニンがヒスチジンという異なるアミノ酸になる。そうなるとできあがるタンパク質も異なり、異なった性質を帯びる。
たとえば4番染色体上のある特定の部位にあるCGTがCATに変わり、アルギニンがヒスチジンになると、アルコール分解に関わる遺伝子ADHの一つであるADH1Bに変異が生じて高活性となり(日本人では95%の人がそうだ)、アルコールの分解効率がアップする。そのためお酒を飲むと真っ赤になり、ひどければめまいや吐き気に見舞われるが、逆にそのおかげでアルコール依存症にはなりにくくなるというわけだ(アルコール依存になりやすいのはADH1Bが低活性の人で、日本人でそのタイプは5%弱である)。(本文より)
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たった一つの配列が違うだけで、大酒のみにnなったり、下戸になったりするなんて・・・。
残りの1%はとんでもない多様性を生み出しているんですね。
どんなに努力しても変わることのない遺伝情報。
著者はそれを「セントラルドグマ」といい、「セントラルドグマ」に向かって成長していくものだとします。
<本文引用>------------
DNA上の遺伝情報は、時期と状況が来たときに、起動スイッチにあたるプロモーターの働きでmRNA(メッセンジャーRNA)に転写され、リボソームでアミノ酸に置換されてその数珠を伸ばし、タンパク質に合成される。この流れは一方向的である。これを「セントラルドグマ」という。それはつまり、外からDNA上の遺伝情報が書き換えられてしまうことはないということ、あらゆる表現型はDNA上の遺伝情報からつくり出されるということを意味する。生命活動を説明するうえで遺伝情報は、発生の中では原因となっても結果にはならない。それがセントラルドグマであり、環境がさまざまな原因で変えられてしまうのとは本質的に異なるところである。だから、出発点となる遺伝情報は書き換えられないという事実はまさに、ある個人の実存に関わるものである。もしあなたがゲノム編集によってその出発点を書き換えれば、それは前とは異なる生物学的条件をもった、異なる実存を生きる人間になることを意味する。
生命はこのセントラルドグマに縛られている。生命は遺伝子を超える、行動や文化は遺伝子を超えるとどれだけ声高に叫ぼうと、このセントラルドグマの制約から逃れることはできない。始発点としての遺伝情報を書き換えることができるのは「偶然」でしかない。それが突然変異だ。コピーミスと考えられているこの現象も、何らかの適応的な変化である可能性は否定できないが、少なくとも個体発生の中でそれが起こることは考えにくい。つまりキリンが高いところにある食べ物を食べようと努力して首を長くしていたら、首の長さを決める遺伝子に首が長くなるような塩基配列の変化が起こるなどということはない。「獲得形質は遺伝しない」というのが、現代遺伝学の原則である。(本文より)
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それを示すのが「双生児法」という研究。
一卵性双生児と二卵性双生児の類似性の比較を基本とする研究です。
一卵性双生児はもともと一つの受精卵に由来しているので遺伝情報の共有度は100%、一方、二卵性双生児はの半分の50%。
様々なペアの能力や性格を比較し、一卵性双生児と二卵性双生児とでどちらが類似しているかを比較します。
<本文引用>------------
「心はすべて遺伝的である」、すなわち人間のあらゆる行動や心の働きに、遺伝の影響が無視できないほど効いていることを示す科学的証拠は、「双生児法」という人類遺伝学の古典的な手法が示す、膨大な知見が与えてくれる。それは一卵性双生児と二卵性双生児の類似性の比較を基本とする。一卵性双生児はもともと一つの受精卵に由来し、卵割のごく初期に二つに分かれたことにより、遺伝情報が原則としてすべて同じである。二卵性双生児は、同時に排卵された二つの卵それぞれに精子が受精した二つの独立した受精卵から生まれ、遺伝子を半分しか共有しない。そして、一卵性双生児のほうが二卵性双生児よりも互いによく似ていることは、客観的な統計学的事実なのである。いずれも同じ母胎から生まれ、ふつうは同じ家庭環境で育つから、成育環境は等しい。にもかかわらず一卵性双生児が二卵性双生児よりも類似しているとすれば、それは共有度が100%と50%と、2倍の違いのある遺伝子に由来すると合理的に考えられる。(本文より)
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その結果、一卵性双生児のほうが類似性が高いことは客観的な事実なんですね。
<本文引用>------------
それに対して、知能や学力の二卵性双生児の相関係数が、一卵性双生児の相関係数から遺伝だけで説明される値の半分よりも大きいことに着目してほしい。これは指紋やパーソナリティのように遺伝と非共有環境だけでなく、二卵性双生児を遺伝以外に類似させる要因が関与していたからだろう。それこそが同じ環境で育ったこと、あるいは同じ親に育てられたことにほかならず、これを「共有環境」という。(本文より)
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人はどこに向かって成長するのか。
<本文引用>------------
このように児童から成人となる成長期に、さまざまな教育環境や社会経験にさらされ、知識や技能が増えるにしたがって、環境の差の影響が大きくなるのではなく、遺伝的な特徴が顕在化するのである。この時期を学習期と考えると、人間は環境に左右されて受動的に学習しているのではなく、みずからの遺伝的資質にしたがって能動的に学習を進め、遺伝的な「自分」になろうとしているかのようである。(本文より)
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「遺伝的な自分」を目指して成長しているということなんですね。
じゃあ、「遺伝的な自分」が「セントラルドグマ」であるなら、何をしてむ無駄か?
著者はこれを否定します。
<本文引用>------------
しかし遺伝の影響は、あなたが生きているかぎり、あなた自身の内で常に安定して働いている。遺伝の影響に時間的な安定性があるということは、あなたがいま発現させている遺伝的傾向性が、おそらくこの先、生涯を通じて発現しつづける可能性があるということだ。そう聞くと、ともすれば「遺伝によって将来が決められている」と悲観的になる。しかしそうではない。いま現させている何らかの能力が、他の能力と組み合わさることによって、さらにあなた自身によって増幅され、あなたの中での一貫性をもった成長の核となる可能性があるということなのだ。ほんのちょっとしたこだわり、好み、くせ、得意なこと、不得意なことや欠点と思われることすら、長い生涯の中では自分の「持ち味」となるように、あなたがみずからを学びなおしていく手がかりとなる可能性があるということなのだ。(本文より)
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「人間だれしも無限の可能性がある」
崇高なお言葉です。
学校でいやというほど聞かされました。
その一方で、教育心理学、行動遺伝学、進化教育学の分野では様々な研究成果が発表されています。
もう、「崇高な言葉」に酔うのはやめにしたいですね。
「遺伝的な自分」とはどんな自分なのか?
これを知って、何を努力していくかの選択はとても大切になりそうですね。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
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■読んだきっかけ:Amazon
■読んで知ったこと:「遺伝的な自分」と「セントラルドグマ」。
■今度読みたくなった作品:『教育は遺伝に勝てるか?』 安藤寿康
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能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ (ブルーバックス) - 安藤寿康






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