『ほんとうにいいの? デジタル教科書』

消費にとって最大の敵のひとつは、精神の集中。

私は会社でITツールの導入企画や導入支援を行っています。
配布すると決まってくるのは、ごく少数社員から不満。
「重い!」
「色を変えてほしい!」
「俺が普段使っているアプリを入れてくれ!」
まあ、なんていうのかこれくらいは可愛いもの。
中には、配布した直後に「使えねえ!」なんてものも。
正直、「もう少し使ってから言ってよ~」なんて思ってしまいます。

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書名:『ほんとうにいいの? デジタル教科書』
著者:新井紀子
出版:岩波書店(2012.12)
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著者は数学者。
民主党政権下の2009年に総務省が発表した「全小中学校へのデジタル教科書配備」に対し、数学者としての立場を超え、教育者としての立場から、「デジタル教科書」への問題点を指摘します。


著者は、「数学者」というより「教育研究者」といった方が適切かもしれません。
最近著した『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』は大ベストセラー。
彼女の考えは、数学者としてAIを研究することで得られた、「学習とは何か?」「AIと人間の知能の違いはなにか?」という考え方に基づいています。


中学校の頃の学生カバン。不良(今でいうヤンキー)は“詰めカバン”と呼ばれる厚さを極限まで抑えたカバン。
当然、まともに教科書などは入れていません。

そんな彼らは、私たち一般学生のカバンを“豚カバン”とバカにしてました。
でも、教科書、ノート、それに英和辞典など辞典を加えると、“豚カバン”になってしまうのは必至。

ある時、26歳年下の甥に聞くと、辞書が「電子辞書」になったそうです。
正直、デジタル機器の進化を実感しました。

「すべての小中学生の教科書をデジタル教科書に変える」
著者は教育者として、「デジタル教科書が教育に与える効果があるか否か?」そんな観点で自説を展開します。
そこには「なんとなく良さそう」「新しいからきっといいもの」なんて曖昧な根拠はありません。
ここは数学者の感性といったところでしょうか?


まず、「教育効果の検証」自体がかなり難しいものであることを指摘します。

<本文引用>------------------------
たとえば、教育手法Aが教育手法Bよりも優れているということをどうすれば「科学的に」示すことができるか、考えてみよう。それには、同じ条件を満たす二つの学習者のグループに対し、A・Bの教育を施し、そして、その直後にその教育効果を計測し、AのほうがBよりも教育効果が高いことを、主として統計的に示さなければならない。実はここにこそ現在の教育学や教育工学の大きな問題が潜んでいる。
まず、この方法では長期の影響を測ることはできない。A・Bという二つの教育手法の教育効果を正しく比較するためには、それを施した後、なるべく他の影響を受けないことが望ましい。でなければ、測定結果が何に起因するか結論づけることができない。しかし、児童・生徒が実験以外の影響を受けないよう行動を制限することは倫理上許されないであろう。さらには、AのほうがBよりも教育効果が高いという仮説を立てながら、一部の児童に対し、比較をする目的だけからBを施すということには、学校からも保護者からも理解が得られないだろう。(本文より)
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「教育効果」って、試行錯誤とその結果から得られる「たぶん効果がある(ない)だろう」という仮説に過ぎないようですね。

私は、ここ10年以上、それまで、定期で宅配を続けていた「日本経済新聞」の購読を止めました。
その代わり、取引している証券会社の顧客向けサービスの一つである「日経テレコン」に切り替えました。
「見出し」は一覧で見ることが出来ます。
詳しく見ようと思えな、リンクすれば「見出し」から簡単に「本文」にリンクします。
記事そのものを見たくなったら、さらにクリックすれば「記事のPDF」にリンクします。

<本文引用>------------------------
教科書と地図帳は体裁も表現方法も異なる。こうした異種情報を縦割りにではなく、横断的・重層的に脳にインプットすることで、私たちは相互に関係しあった複雑な事柄に関する深い理解を得る。しかし、そのような理解に至るには、まず、それらが関連づけられた状態で脳の記憶に収まることが必要であり、それには、一度に視野に収まるような状態で眺められることが効果的なのだろう。
もちろん、リンクひとつで教科書と年表を切り替えることは可能だが、それは「重ねてある」情報から引っ張り出すのが楽になるというだけのことに過ぎず、俯瞰できることとは質的に異なる。これがハードウェアとしてのデジタル教科書の決定的な弱みだろう。
一覧性や俯瞰性が効果的だと私たちが意識していることを示す証拠はいろいろある。デスクトップのパソコンでは、モニター画面はより大きく、また横に広くなる傾向があることもそのひとつだろう。最近では、複数のモニターを三面鏡のように設置して異種のソフトウェアを俯瞰しながら作業をする形態が、プログラマー以外のユーザの間でも、広まりつつある。これは、作業の効率向上に、あるいは横断的に物事を理解する上で、一覧性の果たす役割が大きいことを物語っている。(本文より)
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これは、私も同感です。

新聞の一面を見ると、見出しのつけ方や、段の組み方で、その新聞社が、どの記事を同社に訴えようとしているのかが伝わってきます。
それが、「日経テレコン」には無いんですよね。
そして、それを実現しているのが、「日経テレコン」に遅れて始まったサービス「日経新聞電子版」です。

<本文引用>------------------------
デスクトップパソコンは、持ち運ぶ必要がない。よって、「使いやすいかどうか」「作業効率がよいかどうか」が何より優先される。しかし、タブレットでは、使いやすさや作業効率よりも、「持ち運びやすさ」が優先され、その結果、一覧性などは二の次、三の次として扱われてしまう。(本文より)
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「か弱い小中学生が持ち歩くカバンを軽くしたい!」のが目的であればら、「デジタル教科書」は有効みたいです。
でも「子どもの能力を高めたい!理解力を高めたい!」のが目的であれば、ちょっとその目的の実現は怪しそうですね。


インターネットの便利な機能の一つに“リンク”があります。

文章読んでいて、キーワードに“リンク”が張ってあると、ワンクリックでそのキーワードをさらに掘り下げることが出来ます。
著者は文学作品である多和田葉子氏の『ヒナギクのお茶の場合』を取上げ、その分の“リンク”を貼り、その“リンク”がどんな効果をもたらすのかを解説します。

<本文引用>------------------------
先ほど引用した「ヒナギクのお茶の場合」の一節を読解する際、「紅茶」「ミルク」といった語のリンクをたどることはそもそも愚かな行為だろう。被験者とて、実験中にそのことを悟ったはずである。にもかかわらず彼らはリンクをクリックし続け、その結果、読みの質が損なわれてしまったのだ。その理由を読み解かなければなるまい。
複雑な文を読解しようとすると、読者は忍耐を求められる。当たり前だが、文はアルファベット(あるいはかな漢字)という「記号」で構成されており、「どの記号もそれだけでは死んでいるように見える」(ウィトゲンシュタイン)。そこに生命を与える行為がが「読解」ということになる。
油断すると散ってしまう集中力をコントロールしつつ、ともすれば「ただの記号列」に見えそうになる文の意味を必死で読み解かなければならない。それは初学者にストレスをもたらすだけでなく、実際に脳に多くの負荷がかかる行為である。そのストレスから逃れるために、被験者はリンクをクリックしてしまったとは考えられないだろうか。
リンクは多くの、そして多様な情報を私たちに与えてくれる。ただ、そのことは、時として非本質的な満足を私たちに与え、「読解」の苦しさから逃げる道を作ってしまう。マイアルとドブソンの実験結果はそのことを私たちに伝えているとはいえないだろうか。(本文より)
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実際にリンク有文章とリンク無文章を読ませた後の読解力を比較した社会実験が行われているようです。

残念ながら、リンク有文章には、なんとも分が悪いようです。
学習では“集中力”が問われます。
そもそも“リンク”というものは、その“集中力”を奪うということが目的にあるようです。

<本文引用>------------------------
そして、消費にとって最大の敵のひとつは、精神の集中なのである。あることに精神が集中していると、人はその間、消費活動には向かわない。また、インターネットに接続してくれないと、そもそもオンラインサービスにアクセスすることも、広告をクリックすることもない。よって、こうしたオンラインサービスにとって重要なのは、いかに人々に常時インターネットに接続させるか、そして、いかに人々の集中力を途切れさせ、他のことへ注意を振り向かせるか、ということにある。このようなユーザ向けソフトウェアの開発目的は、教育ではなく消費にある。にもかかわらず、現在出回っている教育ソフトウェアの多くが、消費者向けのソフトウェアのインターフェイスを模倣している。そのことに、開発者の多くは残念ながら自覚的ですらないのである。(本文より)
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デジタルツールと呼ばれるパソコン、タブレット、スマートフォン、デジタルペンなど。
アナログツールと呼ばれる本、ノート、ボールペンなど。

すべての要望に対応できるデジタルツールを求めるよりも、ツールの得意分野と不得意分野を理解し、自分の目的に最も効果を実感できるツールを選択するのが一番良さそうです。

「なんとなく良さそうですよね」
「なんか新しい良いみたいですよね」

こと、子どもたちの教育に対しては、やさしい語り口調ながらも、このような曖昧な根拠の乏しい意思決定を決して許さない著者。
ますます、ファンになりました。

◆頭の中でシンクロした過去の他の完読作品
『Excelでわかるディープラーニング超入門』

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■読んだきっかけ:Amazon
■読んで知ったこと:消費にとって最大の敵のひとつは、精神の集中。
■今度読みたくなった作品:『青色本』ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン
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