『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』

阪神タイガーズの“伝統芸”の原点。

私はユニフォーム着たり、球場に足を運んだりはしないものの、大好きな球団は「阪神タイガース」です。
選手の活躍も好きですが、私は選手を取り巻く球団のドタバタぶりや、ファンの熱狂ぶりが好きです。
優勝のたびに繰り返される道頓堀川へのダイブ。
ニュースなどではさんざい「汚い」と言われ、過去にも事故が起きた道頓堀川。
2023年の日本一では37人がダイブしたそうです。

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書名:『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』
著者:村瀬秀信(著)
出版:集英社(2024.02)
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著者はノンフィクション作家。
阪神タイガーズの“伝統芸”ともいわれる「お家騒動」の原点を探ります。

冒頭、著者は阪神タイガースを解説します。

<本文引用>------------
だけど、なんでなのか。勝てやしないのだ。
誕生以来、終生のライバル球団と目した巨人軍は、その歴史において38回の優勝と22回の日本一という永久不滅な輝かしい戦績を誇っている。それなのに、タイガースは巨人、福岡ソフトバンクホークス(南海~福岡ダイエー)に次ぐ勝利数を持ちながら、2リーグ制の分裂後は、優勝回数5回、日本一に至っては1985年のたった1回というなんとも不可解な結果を残している。
それは道頓堀に落としたカーネル・サンダースの呪いか、はたまた『Vやねん』の戯れか。もしくは本気でベンチがアホやから野球ができへんかったのか。藤村富美男とダイナマイト打線に、小山正明・村山実のWエース。江夏豊・田淵幸一の黄金バッテリーが輝けば、バックスクリーン三連発に、亀新フィーバー、JFK。 球団創設の昔からキラ星の如き英雄・豪傑・猛虎たちが躍動し、彼らの姿に甲子園のスタンドはオウオウオウオウと他球団を震え上がらせる咆哮を轟かせていた。
だが、いいところまでいっても、最後にはお家騒動とドタバタ劇が起こってしまうその哀しき因業。ダメ虎・虎ブル・虎ディショナル。前述した生え抜きの大スターたちは、失意のうちにタイガースを去った。首脳陣と親会社は確執を起こし、チームはバラバラに解体され、期待の新監督はボロ雑巾のように叩かれて辞めていく。いつの間にかトラッキーの中の人の人までいなくなってしまう冗談みたいな伝統は、いったいどこから始まったものなのか。
ずっと気になっていた。タイガースは何かがおかしい。熱狂的すぎるファンだとか、圧倒的な地域性もだが、もっと根本的な何か。戦っている対象が他球団とは違うのだ。(本文より)
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私にとって藤村富美男といえば「新必殺仕置人」の「虎の会」の元締めのイメージしかないのですが、江夏豊・田淵幸一の黄金バッテリーはかろうじて記憶があります。

球団トップが「あんただれ?」という人を監督に抜擢したことから話が始まります。
岸一郎監督。
しかし、岸一郎監督は1シーズンを全うすることなく、途中で、監督としての座を降ります。

<本文引用>------------
ツーアウトからこの日ノーヒットの4番藤村富美男が勝負を避けられフォアボールで出塁すると、岸監督が勝負に動く。
「代走・山本テツ」
ベンチから3年目のキャッチャー山本哲也が小走りに一塁ベースへ駆けていく。
「ファーストランナー、藤村に代わりまして山本が入ります」
異変が起きていた。場内アナウンスで山本の名がコールされても、一塁ベース上から藤村がなかなか動こうとしないのだ。
「オマエは帰れ!」
藤村は虎の形相で山本を怒鳴りつけていた。わけもわからぬまま怒られた山本は、どうすることもできず、所在なさげにすごすごと三塁ベンチへと引き返していくしかなかった。
前代未聞の交代拒否。藤村とすれば、まだ試合は7回なのだ。ここで二死一塁から足の山本に代えて得点に至る可能性より、打線を崩さずにもう一度藤村に打席が回ってくるこを待つ方が勝利への可能性が高いと考えた。そのうえで交代を拒否したのだろうが、とはいえいま現場の指揮権を持つのは岸一郎その人である。(本文より)
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会社でも新任マネージャーの指示に対し、ベテラン社員が反旗を翻し、若手がそれに挟まれて・・・という場面と同じですね。
チームのスター選手、藤村富美男を中心とした勢力に、岸監督は追い出されます。

面白いのは、そのあと。
じゃあ、藤村富美男監督を中心にチームがまとまるのかというと、どうもそうではないようです。

<本文引用>------------
「まだ続けるつもりなんか。あの人がホームランを打ってワシらが凡打でもしようもんならボロクソ言われるからなぁ。いつまで続けるつもりなんやろう」
監督就任会見での村の言葉を伝え聞いたタイガースのある主力選手は、あからさまにふんたん憤嘆したという。チーム内には、藤村の兼任監督に対する不満の空気がじっとりと滞留していた。
岸から指揮官を譲り受けた昨年の5月後半以降、藤村は「ファイトを燃やして全員を引っ張る」の言葉通り、選手たちに激しい叱咤を飛ばして戦った。それはチームを鼓舞したといえば聞こえがいいが、実際の現場ではミスを犯した選手に対しては大声で怒鳴りつけ、自分が活躍した時には「こうやって打つんや」と得意満面に振る舞うこともあったという。当時のある中堅選手が回想している。
「藤村さんはスーパースターであるがゆえに、自分以外の選手が活躍すると嫉妬心を露わにしました。プレイヤーとしての対抗心は大事なことなのかもしれないけど、他人の殊勲を自分の手柄に横取りしてしまうようなことを、監督になってからもやっていては選手の心はれていきますよ」(本文より)
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そして、それは、先ほどの「岸 VS 藤村」と同じように、試合中に露見します・

<本文引用>------------
一度火がついた炎は試合に入っても収まることはなく、中途半端な走塁で金田がアウトになるのを合図に、2匹の虎がついに牙を交えた。
「カネ、ちゃんとスライディングせえや」
ベンチに帰ってきた金田を藤村が大声で叱責する。金田も負けずに言い返す。
「おい、フジさん。あんたにだけは言われたくないわ。あんたスライディングしたことあんのか?」
雌雄の虎と喩えられたこともあるベテラン両巨頭による一触即発の空気に、ベンチの中はすべての生き物が死に絶えたかのように静まり返った。絶望である。若い選手たちにとっては、無能かもしれないが、少なくとも無害ではあった岸一郎の方がよっぽどマシだった。(本文より)
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そして、そんな藤村冨美男が今度はチームを追われます。

当時の阪神タイガースの藤村冨美男といえば、読売ジャイアンツの川上哲治とならぶスーパースター。

<本文引用>------------
同じ年代に同じように活躍し、両チームで代わりの利かない存在として大きな人気を得た2人のスーパースター。しかし、その後の2人の運命は大きく離れていき、それはまた、巨人と阪神の根本的な体質の違いを明確にしていく。
巨人の川上哲治はこの年の引退後ヘッドコーチとなって2年間、水原円裕監督に仕えた。1960年大洋の三原脩に敗れ、カメラマンへの暴行事件で休養した水原に代わり、巨人軍の第9代監督に就任。永久不滅のV9という偉業を成し遂げ名将の名をほしいままにした。
一方の藤村富美男は、この年を最後にタイガースへと帰ることは二度となかった。(本文より)
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もとの球団とのその後の関わりって、こんなにも違うんですね。

岸が追われ、藤村が追われ・・・。
その後もこの流れが止まることは無かったようです。

<本文引用>------------
藤村富美男もまたタイガースの伝統を守ろうとしたのだ。そして、岸一郎を追い出すことにも成功した。だが、監督の岸に対する一連の横暴な態度は、一部選手たちからの明らかな反感を買ってしまい、結果自身の首を絞めることにもなってしまった。
「岸一郎の途中解任があって、その翌年には藤村排斥事件や本来絶対的な存在である“監督に選手が勝つ”というあってはならんことが続いて起きた。それ以来のタイガースはずっと選手が王様やねん。逆にいえばどれだけ愛された選手でも監督になればポロカスや。金本知憲を見てみぃ。『アニキ』やら『金本さま』やら、どれだけ神様みたいになったか。連続試合フルイニング出場で世界記録を作った時には記念碑までこしらえて、本物の神様みたいやった。それが監督になって勝てなくなった途端に、一気に『なんやあいつ』となってしまうやろ。この変わり身はおそろしいで」
野球界には、“名選手は名監督に非ず”という格言があるように、現役時代は名選手と呼ばれ順当に監督となったスターが、勝てずにボロボロにされて現場を去ることはよくある話なのかもしれない。ただ、タイガースのレベルはケタ違いだ。前述の金本、そして前監督の矢野燿大も、やり方次第では名将になれたような気がしてならない。ファンには「負広」と呼ばれ、久万オーナーに「スカタン」呼ばわりされた中村勝広。安打製造機として暗黒期を支えた和田豊のスパイスはスキャンダルも絡めておもちゃにされ続けた。
藤田平は選手時代に「安藤監督の下ではやってられない」と引退・退団しているが、監督となるや新庄剛志に采配を批判され「阪神を辞めたい。環境を変えたい」とトレード志願。さらには「ぼくにはセンスがない」と引退宣言までされる因果応報である。プロ野球界で名の名をほしいままにする野村克也でさえもタイガースでは1年で「この球団は手に負えない。もう辞めさせてくれ」とさじを投げかけ、サッチーの脱税で去るという最悪の終わり方をした。2021年に引退した鳥谷敬が方々のインタビューで「阪神の監督はできればやりたくないですね・・・・・・」と答えてしまうのも無理はない。(本文より)
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ここまで挙げられると、阪神タイガーズの“伝統芸”と言われても否定できないレベルです。

後半、藤村と川藤のやり取りが紹介されます。

<本文引用>------------
 「今、タイガースが久しぶりに優勝争いをしているやろ。新聞を見れば、阪神タイガースやなくて『吉田阪神』と書いてある。なんやねんこれは。ええか。タイガースの監督は吉田や。せやけどタイガースは吉田のもんではない。タイガースがあるから吉田がおるんや。ワシらは監督やコーチに認められたくてやってきたわけやない。ファンに認められるために必死になれたんや。それが諸先輩方が作ってきたタイガースであり、虎の血なんや。これを後輩たちにつないでいけ」
川藤は、タイガースという球団はよその球団とは何かが違うとずっと感じていた。なぜタイガースにはこんなに熱狂的に応援してくれるファンがいるのか。まわりからケチやボやや嘲笑され、オフになったら主力と会社のお家騒動。球界一のお騒がせ球団といわれながら、シーズンに入ったらちっとも巨人に勝てない。そういうチームでも、阪神タイガースにはこれだけ数多くの応援してくれるファンの人がずっとついてきている。それは藤村富美男ら先達たちが、ファンの方を向いて必死にプレーしてきたこと。それはもしかしたら勝ち負け以上に大事なことかもしれん。いくら勝ってもファンの人に愛されるチームじゃなきゃアカン。ワシらは勝てばいいだけの巨人とは違うんや。優勝回数は負けとるかもしれんけどな。タイガースは愛情の深さが違う。(本文より)
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勝っても負けても熱烈なファンが雄たけびを上げる。
そんなファンは何に対して雄たけびを上げるのか?


2023年に日本一になった阪神タイガース。
2024年に指揮を執るのは前年と同じ、岡田監督。
シーズンではどんな展開をするのか?
シーズン後はどんな展開をするのか?
楽しみです。


◆頭の中でシンクロした他の完読作品
『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』
 『ビッグデータ・ベースボール 20年連続負け越し球団ピッツバーグ・パイレーツを甦らせた数学の魔法』

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■読んだきっかけ:HONZ
■読んで知ったこと:阪神タイガーズの“伝統芸”の原点。
■今度読みたくなった作品:『92歳、広岡達朗の正体』松永多佳倫
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虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督 (WPB eBooks) - 村瀬秀信
虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督 (WPB eBooks) - 村瀬秀信









『ディナモ・フットボール』

「組織化された無秩序」。

2021年の4月から文化放送の『おはよう寺ちゃん 活動中』という番組で、月一くらいの間隔で谷本真由美氏が登場するようになりました。
なんでも当人はTwitterでは有名で、“めいろま”というアカウント名で活躍しているようです。
私はもともと著書を読書候補に入れていたため、さっそく聞き始めました。
これが朝5時からだというのに笑いで満載。
ご本人はイギリス在住で、私たちが知ることにない“生のイギリス情報”をこれでもかこれでもかという位に提供してくれます。
ある時、パーソナリティの寺島尚正氏が「えー、イギリスってシャーロックホームズみたいな世界じゃないんですか?」と訊いたら、谷本さん。
「ああ、シャーロックホームズの世界が2割で、後の8割はひどいもんです」と答えてくれました。
私が特に惹かれた谷本さんのコメントは、イギリスではサッカーは労働者階級のスポーツだということ。
それゆえ、サッカーファンは客層も観戦態度も悪いとのこと。
小学校、高校と7年間サッカー部に所属していた私。
「サッカーというスポーツは紳士のスポーツだ」なんて何度か教わっていたため、少し驚きました。

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書名:『ディナモ・フットボール』
著者:宇都宮徹壱
出版:みすず書房(2002.04)
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著者は写真家でサッカーに関する著作も豊富な著述家。
第二次世界大戦終戦から間もないころ、ソ連からやってきたサッカーチーム「ディナモ・モスクワ」から、旧東ヨーロッパのサッカーチームの現在を解説します。

本作は、初は第二次世界大戦終戦後間もない頃に行われたソ連のクラブチーム「ディナモ・モスクワ」とイギリスの「アーセナル」の対戦のお話です。
その後は著者が「ディナモ・モスクワ」の幻影を求め、東ヨーロッパ各国の「ディモナ」の今を探しに行くお話です。


1945年5月、ドイツが降伏し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦は終結しました。
それから6カ月後の1945年11月、イギリスであるサッカーの試合が行われようとしていました。

<本文引用>------------
1945年11月21日。上空を晩秋の陰鬱な霧が覆っていたこの日の午後、ロンドンで何とも奇妙なフットポールのゲームが行われようとしていた。
それはアーセナルのホームゲームであった。が、舞台は本拠地・ハイバリーではなく、何故か「永遠の宿敵」トテナム・ホットスパーのホーム、ホワイト・ハート・レーンだった。
フィールドに現れたアーセナルの面々もまた、実に奇妙だった。 確かに、主将のバーナード・ジョイ以下、何人かはガンナーズ(アーセナルの愛称)のお馴染みの顔ぶれだ。しかしこの日ピッチに登場したのは、さながら「英国代表」と呼んでも差し支えない、実に豪華なメンバーであった。ブラックプールのスター選手、スタン・モルテンセン、2列目の名手、フル・ハムのロニー・ルーク、さらにストーク・シティの偉大な右ウイングで、のちに「サー」の称号を得ることになる伝説のフットボーラー、スタンリー・マシューズまでもが、この日はアーセナルのユニフォーム姿で顔を揃えていたのである。
だが極めつけに奇妙だったのは、「アーセナル」の名を借りた「英国代表」と対戦する、ヴィジター・チームの存在であった。
まず、彼らは試合前に、まるで陸上選手のように入念なストレッチ体操を行っていた。それは、当時の英国ではほとんど見られなかった光景である。加えて、彼らのユニフォームには背番号がついていなかった。1933年のFAカップ決勝で初めて導入された背番号制度は、すでに英国ではすっかり定着していたが、彼らは真新しいブルーのユニフォームに背号を縫いつけることを頑なに拒否した。
「我々は、全く慣れていないものを着用して、プレーするリスクは負いたくない」
そう主張する彼らの祖国では、どうやら「背番号」というもの自体が存在しなかったらしい。だが、それ以上に「勝利に寄与しないもの一切を排降する」という彼らの姿勢は徹底していた。英国人が差し入れた熱い紅茶は、結局誰にも顧みられることなく冷たくなっていた。(本文より)
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著者は写真家ということですが、いえいえ、どうして、読んでいて引き込まれてしまいます。

イギリス側のチームは「アーセナル」を名乗っているものの、ほぼイギリス代表メンバーに近い布陣。
それだけに負けられないというイギリス側の意思が感じられます。

イギリスをそこまでにさせたチームは背番号すらないユニフォームを着たソ連のサッカーチーム「ディナモ・モスクワ」。

<本文引用>------------
「フットボールの母国」と呼ばれるイングランド――そのなかでもロンドンを拠点とするアーセナルは、名門の誉れ高いクラブのひとつである。設立は1886年(日本でいえば明治19年)。伝説的な名監督、ハーバート・チャップマンに率いられたチームは、1930年代に最初の黄金時代を迎え、リーグで5回、FAカップで2回、それぞれ優勝を果たしていた。
それに対してヴィジターチームは、これまで全く世界に知られていない、謎めいた存在であった。それ以前に、彼らの祖国でフットポールが行われていること自体が、大部分の英国人には想像を絶するようなおとぎ話でしかなかった。
だが、突如として東方から飛来した謎のチームは、すぐさま英国中を驚嘆させる偉業をやってのける。先週、彼らは同じロンドンでチェルシーに3-3と引き分け、4日前にはウェールズでカーディフ・シティに何と10-1という圧倒的勝利を収めていたのである。
英国の新聞はこぞって、ゲームの結果をセンセーショナルに書き立てた。そして英国国民は。彼らが単に「母国」の胸を借りにやってきた「従順な巡礼者」ではなかったことを認めざるを得なかった。やがて人々の間では、盛んにこのチームの名が話題に上るようになる。
「ディナモ・モスクワ」
謎のチームは、ソヴィエト社会主義共和国連邦という「よく分からない国」からやってきた。(本文より)
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謎のチームはそれまでの戦歴でイギリスのクラブチーム相手に、同等もしくは上をいく試合をやってのけていたのでした。

さて、2-3で不利になった「ディナモ・モスクワ」。
ハーフタイムで監督は選手を鼓舞します。

<本文引用>------------
「英国代表」アーセナルとディナモのゲームは、ハーフタイムを迎えていた。
序盤から点の取り合いとなったゲームは、しばらく1-1の均断が続いていたが、ディナモは、前半35分と38分に立て続けにマシューズの右からの突破を許し、モルテンセンとルークに連続ゴールを奪われた。だが、ディナモも負けてはいない。41分、鋭いカウンターからベスコフが鮮やかにフィニッシュ。スコアを2-3として、前半を折り返した。
「もっと落ち着いてプレーしよう。それから、フィールドをもっと有効効に使おう。我々が得意とする「組織化された無秩序」で、最後まで諦めずに闘おう!」
ディナモのドレッシング・ルームから、ヤクーシンの声だけが響く。やがてホワイト・ハート・レーンに、後半開始を告げるホイッスルが鳴った。(本文より)
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「組織化された無秩序」。
アニメ「攻殻機動隊」での名セリフを思い出しました。

スーパーメンバーがそろったチームのトップ公安9課の荒巻大輔のセリフです。

「我々の間にはチームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ。」

あまりにもカッコよく、映像を何度も巻き戻してノートの書き留めていました。
ネットで検索したら、このセリフ。
何度も検索で上がってました。


<本文引用>------------
だが、そんな最悪のコンディションにあっても、ディナモは攻め続けた。後半3分、前線でポールを受けたベスコフが、ゴールエリアに突進するCDKAからの助っ人・ボブロフに山なりのパスを送る。ポプロフのヘディング・シュートは、相手キーパーに一且は弾かれたが、ソロピヨフが確実に詰めていた。ついにディナモが、3-3と追いつく。(本文より)
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「ディナモ・モスクワ」の「組織化された無秩序」とは。

<本文引用>------------
アーセナルの主将・ジョイは試合後、ディナモの戦術について興味選い分析を行っている。
「アィナモが我々よりも優れていたのは、そのポジショニングだったと思う。ひとりの選手がボールをキープしたとき、少なくとも5人の選手がパスをもらえるフリーのスペースに走っていた。彼らは攻撃時には8人が参加し、守備のときにも8人で守っていた。英国には、センターフォワードは前、インサイドはその後ろ、といった固定観念があったが、ロシア人たちは全員が積極的にポジション・チェンジを繰り返していた。それも90分間、ずっとだ」
果たして、ヤクーシンが選手たちに求めた「組織化された無秩序」とは、およそ4半世紀後に出現する「トータル・フットポール」の先駆けだったのであろうか。さらに驚くべきことに、当時のディナモのシステムは、58年のワールドカップを制したプラジルが採用していた「4-2-4」であったと、ディナモの歴史研究家は主張している。もしそれが事実ならば、ディナモはこの時、世界最先端のフットポールを披露していたことになる。(本文より)
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ソ連、スターリン。

<本文引用>------------
私がこのインタヴューのなかで最も注目したのは、スターリンが戦時中からスポーツ選手をプロバガングの道具として管理・保護していた、というサヴドゥニン氏の証言である。
スターリンが、36年のベルリン五輪に密かに関心を抱いていたことは、私も知っていた。スポーツの政治的活用法を、彼はイデオロギーを超えてヒトラーから学んでいたのである。
だが、第2次大戦という国家の非常時にあって、すでに戦後の冷戦時代を見越しながら、優秀なスポーツ選手を疎開させてトレーニングに専念させていたという話は、全くもって初耳であった。それが事実ならば、スターリンの深虚遠謀はヒトラー以上であったといえよう。(本文より)
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恐るべし、スターリン。


さて、本作後半。
著者は東ヨーロッパ各国の「ディモナ」に会いに行きます。


ある「ディモナ」です。

<本文引用>------------
ゲームは、息の抜けないスコアレスの均衡が続く。ホームのプラウンシュヴァイク・サポーターの声援は、やはり圧倒的である。それでもウニオン・サポーターの魂の叫びは、90分間ほとんど途切れることなく続く。その一途な応援には、何やら悲壮感さえ感じられた。
もっとも、彼らの観戦態度は決して誉められたものではない。タバコの吸殻をポンポンと役げ捨てる者、フェンスによじ登ってステュワードに暴言を吐く者、果てはフェンスから小便をする者までいる。フィールド上の警官は、おそらくはプラックリストを作成するためであろう、そんな彼らの行動を逐一ヴィデオ・カメラに収めていた。
だが、どうやら相手が悪かったようだ。シュタージによる厳しい監視のなかで生きてきたウニオンのサポーターは、皆、堂々とした態度で「今」という瞬間を心から楽しんでいる。東べルリン界隈でよく目にした、自嘲的でしょぼくれた表情とは明らかに異なるヴィヴィッドな生命の輝きが、彼らの表情には確実に宿っていた。(本文より)
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別の「ディモナ」です。


<本文引用>------------
ゴール裏で騒ぎが起こったのは、キックオフからわずか10分後のことであった。レンズ越しにフィールドを凝視していたとき、突然ファインダーが白く曇り始めた。何やら背後が騒がしい。慌てて顔を上げると、私の足元近くに発煙筒が投げ入れられ、もうもうと白い煙が立ち昇っているではないか。周囲を見渡すと、同業者は皆、ピッチから回れ右をしてスタンドにレンズを向けている。スパルタク・サポーターと警備に当たる警官隊との間で、早くも乱闘が始まっていたのである。
警官は腰につけた棍棒を手に、容赦なくそれを暴徒の頭や目に振り下ろしている。固いゴムでできた棍棒は、まともに強打されればかなりのダメージを受けるはずだ。一方のフリンツ・クルーは、破壊した橋子や発煙筒を投げつけて警官隊に応戦。スタンドはカオスと化していた。(本文より)
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この2つのお話は、前半の「ディナモ・モスクワ」と「アーセナル」の時代ではなく、現代のお話です。

冒頭の谷本真由美氏が口にした「サッカーは労働者階級のスポーツ」という言葉が何度も頭に蘇ってきました。


◆頭の中でシンクロした他の完読作品

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■読んだきっかけ:『打ちのめされるようなすごい本』米原万里
■読んで知ったこと:「組織化された無秩序」。
■今度読みたくなった作品:『幻のサッカー王国 ―スタジアムから見た解体国家ユーゴスラヴィア』宇都宮徹壱
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758_ディナモ・フットボール.jpg








『剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む』

日本人にとっての“山に登る”という行為が持つ意味。

一時に登山にハマりました。
登山と言っても冬場は決して登らず、もっとも高かった山は仙丈ケ岳の3,033メートルなので、軽登山といたところでしょうか。
きっかけは友人で、彼のおかげで随分と楽しい機会を得ることが出来ました。
ある山を登っているとき、その彼が「山の頂上を目指して登るのって日本ぐらいなんだよ」って言いました。
それを聞いた私は、「じゃあ、他の国は?」と訊くと、「高い山がよく見えるところに行き、ああ、高い山だなあって風景を楽しむんだよ」って教えてくれました。

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書名:『剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む』
著者:髙橋大輔
出版:朝日新聞出版(2020.08)
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著者は旅をテーマに数々の作品を発表する著述家。
見た目からも文字からも登るのが難しそうな「剣岳」をファースト・クライマーに迫ります。


本作のタイトル。
山岳文学の傑作である新田次郎の『劒岳 ―点の記』に対するオマージュですね。

1907年(明治40年)7月、測量隊が登頂に成功しました。
当時は前人未到といわれていただけに、「やった!初登頂!」と喜びたいところですが、そこには錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖頭がありました。
では、最初に登ったのは誰?
そこから著者の取材が始まります。

<本文引用>------------
仏具である錫杖から考えるなら山伏は仏教を遍く日本全土に広めようとした奈良・平安期頃の布教者となろう。
洋の東西を問わず布教は国家支配の大義名分とされ最初の布教者は探検家であった。例えば十九世紀を代表する英国人探検家デイビッド・リヴィングストン(一八一三~一八七三)はキリスト教を布教する宣教師としてアフリカ大陸の探検に派遣された。
時代や社会、文化は異なるが日本の山伏はどこかリヴィングストンに似ている。山伏は日本の僻地へ最初に足を踏み入れ、布教を通じ国土を開発していった探検家だったのではないか――。
剱岳山頂で見つかった最古の遺物は錫杖頭と鉄剣である。遺物を残さなかったそれ以前の登頂者がいたかもしれないが、われわれが知る限り錫杖頭と鉄剣を山頂に残置した者が剱岳のファーストクライマー、初登頂者と考えられる。彼は人も通わない絶頂になぜ立とうとしたのか。彼は人も通わない絶頂になぜ立とうとしたのか。修行だったのか。 彼は何か重大な任務を帯びていたのかもしれない。立ち上がる疑問を解くためには彼を単に登山家とみなすだけでは不十分だ。時代や社会のニーズによってつくり出された探検家として検証してこそ、剱岳山頂に最初に立った者の目的や実像を明らかにできる。(本文より)
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そして、著者は実際に剱岳に登ります。

<本文引用>------------
ガスは難所であるカニのよこばいでもわたしに襲いかかってきた。登りで通過したたてばいでは五十メートルの断崖を上に登ったが、よこばいでは断崖上を横歩きで通過しなければならない。
鎖が張られて足場もちゃんとしている。ところが今は視界が悪く、わたしは踏み込むべき最初の一歩を飛ばしてしまった。
右足で踏むべきところに左足を置いてしまったため断崖上でフリーズする。
焦らず両手で鎖をしっかりとつかみ、足で二度、三度と岩場を探った。体をぐっと進行方向に伸ばすとようやく先にある足場を探り当てることができた。
甘く見ていたわけではないし、慎重さを欠いたわけでもないが、ガスっている中で進むことの怖さを味わった。
鎖場を過ぎると約十五メートルもある鉄格子の下りがあり、さらにルンゼと呼ばれる岩の険しい溝を下る。ガラ場(岩がごろごろしている場所)を慎重に歩き平蔵のコルでひと息ついた。
試練はまだ続く。平蔵の頭を越える前に三ヶ所の鎖場が待っている。不安定な足場の下り板にストレスがたまる。それでも膝がガクガクすることがなかったのは、往路で極力両手両足を使って登り、足の筋肉疲労を軽減したからだ。(本文より)
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さすが、読んでいて、剱岳の険しさと、登山を甘く見てはいけないという教訓がぐいぐい伝わってきます。

<本文引用>------------
「今回の山行を振り返って、剱岳ってどんな存在でしたか」
カメラクルーと一緒に近づいてきた相馬さんがわたしに尋ねた。
「不動明王だってことがわかりました」
それは今回ばかりか、過去五度にわたる剱岳登山を通して感じたことでもあった。
剱岳は忿怒(ふんぬ)の形相で人間の前に立つ。近寄り難い威厳に満ちた不動明王そのものだ。
実際に登ってみると剱岳の難所や急登は想像以上に厳しい。だがどんな豪雨や疾風に煽られても剱岳は刃のような山体を微動だにさせることなく直立不動でいる。そこに抗い難い憧憬が喚起される。照っても降っても剱岳と同じ空気の中にたたずめば、何事にも動じない剱岳と一体になれる。様々な困難を乗り越えて山頂に立つとき、人はついに不動明王から無限の力強さや忍耐力を授けられるのだろう。
ハゲマンザイという道なき道からのアプローチに挑んだことで、わたしは古代山伏が剱岳に追い求めたものが見えてきた。(本文より)
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日本人にとっての“山に登る”という行為が、自然信仰としての自然との一体化にあるような気がしました。


◆頭の中でシンクロした他の完読作品

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■読んだきっかけ:HONZ
■読んで知ったこと:日本人にとっての“山に登る”という行為が持つ意味。
■今度読みたくなった作品:『劒岳 ―点の記』新田次郎
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741_剱岳.JPG