書物を巡る論争「昭和史論争」。
2025年は、昭和天皇が即位された昭和元年(1926年)から数えて100年目にあたります。
「昭和100年問題」というのがあるそうです。
2025年(令和7年)に、コンピュータシステムが昭和の年号を2桁で処理している場合に発生する可能性があるシステム障害のことだそうです。
そういえば、「西暦2000年問題」というのがありました。
当時は銀行に勤務していて、年末年始は物々しい雰囲気でした。
結局、何も起きませんでした。
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書名:『新書 昭和史 短い戦争と長い平和』
著者:井上寿一(著)
出版:講談社(2025.03)
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著者は学習院大学法学部教授、法学博士。
当時の情報を丁寧に掘り起こし、昭和の始まりから終わりまで、冷静に、淡々と解説しています。
私が中学のころ、日教組の先生は「軍人が軍刀をガチャガチャさせながら、民衆を黙らせて戦争に進んでいった」とご丁寧に教えてくれました。
もっとも、今どき、この言説をまともに信じている人は少なくなったかと思います。
当時は世論は、日本が戦争に勝ったことしか知らない世論。
世論は戦えと叫び、それを、新聞雑誌が煽る。
煽られた世論はさらに戦えと叫び、それを、また新聞雑誌が煽る。
そんな世論に対し、避戦を唱える主張があったようです。
1881(明治14)年生まれで海軍兵学校を経て海軍軍人となり、第一次世界大戦下の1915(大正4)年に現役を退いたの石丸藤太。
軍事評論家として活動を始めていました。
<本文引用>------------
石丸には多くの著作がある。そのうちの一冊が『日米果して戦ふか?』(春秋社、一九三一年)である。ロンドン海軍軍縮条約をめぐる日本国内の対立の翌年に記した著作において、石丸は何を説いたのか。(本文より)
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どんな主張なのか?
<本文引用>------------
以上から石丸は「日米必戦論」を「痴人夢」と退ける。それでは日米戦争の可能性はないのか。石丸は「満蒙」問題が日米戦争を引き起こす可能性に言及する。「満蒙」問題をめぐって、中国側が「不法な対日態度」をとる。アメリカがその中国を支援する。あるいは日本が「領土的野心を実現」しようとする場合である。
石丸は日本が武力に訴えて「満蒙」問題の解決を図ることは、「自衛戦」として正当化することができず、国際世論を敵に回すとして、「深く戒めねばならぬ」と警告する。日本からさきに手を出さなければ、日米戦争は回避できることになる。
もう一つの可能性の方はどうか。「支那の国権回復の運動に同情し、事情の許す限り、支那側の希望も叶えてやる」ことにすれば、中国も「不法な対日態度」をとることはなく、アメリカがその中国を支援することもない。ここに日米戦争は回避される。
石丸は二つの選択を示す。「戦争を絶滅することの不可能を信じて軍備の競争をなすのは冒険であり、平和を信じて軍備を縮小するも、これ亦冒険である」。石丸はどちらを選択するのか。「余は戦争の冒険よりも、寧ろ平和の冒険を選ぶ」。なぜ「平和の冒険」の方を選択するのか。「平和の冒険」によって、「政治の保障、外交の保障、友誼の保障、正義の保障に信頼するのは、極めて賢明であり、又時代の趨勢を知るもの」だからである。ここに軍事リアリストの石丸は平和主義を宣言した。
本書を読んだある読者は、奥付のページにメモ書きしている。「海軍少将[正しくは少佐]/石丸藤太氏は平和を云々する事に依って新しい思想者たるべく自分で思っている」。この読者は「かかる将官を軍部に持つ我等は不幸である」と反発する。この本の奥付には「昭和六年九月七日発行」となっている。石丸の平和主義に危機が訪れようとしていた。(本文より)
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こうした軍事リアリストの唱える平和主義なんですね。
『大阪朝日新聞』論説委員の武藤貞一氏の開戦に否定的な論説を行います。
<本文引用>------------
日清戦争が始まる二年前に生まれた武藤貞一は、一九二三(大正二)年に東京朝日新聞社に入社、一九三六(昭和一一)年には『大阪朝日新聞』論説委員として、コラム「天声人語」を執筆するかたわら、軍事外交評論家として、いくつもの著作を世に出していた。
この年(一九三六年)もそうである。この年の一一月一七日に刊行したのは『戦争』(宇佐美出版事務所)だった。初版一万部は瞬く間に売れた。一二月一日には一万部を再版した。
武藤は「再版の辞」で素直によろこびを表す。「発行旬日を出たばかりのところで、この再版の辞を書くということは、著者にとって望外の喜びであり、また本懐である」。初版と再版の間にも世界情勢は変動していた。一一月二五日には日独防共協定が締結されている。武藤は言う。「世界はまさに急転直下しつつある。日独防共協定は成り、ソ連との摩擦状態を的確に日本国民に認識させた。英米の対日感情は日に悪化し、支那の事態は今や累卵(るいらん)の危きに立つ」。
このような世界情勢のなかで、本書は何を訴えようとしていたのか。武藤の著作は避戦論の書である。武藤は「反戦とか非戦」と非難されることを承知で、それでも「兵は凶なり。戦争はでき得る限り避けなければならぬ」と警告する。
なぜ警告するのか。「将来来ることあるべき戦争の惨烈性について日本人はややもすれば認識不足」だからである。「戦争の惨烈性」とは何か。武藤からすれば、日本人は第一次世界大戦の「惨烈性」をわかっていなかった。第一次世界大戦によって、戦争は「驚異的変革」を遂げた。そのことを知らずに戦争を口にしてはならなかった。
武藤は第一次世界大戦の悲惨さを日本人に知らしめる目的で、その虚実のほどはともかく、これでもかと書き連ねる。それはドイツ軍の侵攻にともなうベルギーの「地獄図絵」である。ある地方では「一少年が手足を切断された上、火中に投げ込まれた」。あるいは 「九十歳の老人が木に縛りつけられて下から火で焼かれた」。別の地方では「全市に銃火の雨を降らせ、婦女子は片ッ端から銃剣で脅かされ蹂躙された」。逃げ遅れた老人と子供はドイツ兵の「射撃の練習用に供された」。さらに別の地方では「両親を縛り上げた面前で、十四歳の少女が二十余人の独兵のために翻弄された後、瀕死の状態に陥ったのを銃殺された。武藤は略奪と暴行、退役の事例の記述を続ける。(本文より)
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なんか戦争を煽りまくったとされる朝日新聞。
その論説委員が別に著書を出していたんですね。
<本文引用>------------
これらの「機械」は石油で動く。ところが日本は石油資源に乏しい。仮想敵国のアメリカやソ連の石油に依存している。ここに日本の弱点がある。「石油あっての戦争だとすれば、石油の供給が利かなくなるが最後、戦争は中絶することになる」。このような有様では日本に勝ち目はなかった。
総力戦の惨禍をこれでもかと書き連ねたあげく、武藤は「危険極まる暗黒」のさきに曙光を見出す。「無残な戦争へ追い詰められて、もうどうにもこうにもあがきが取れなくなって来たときに、微かではあるが、戦争の絶滅点が仄見(ほのみ)えて来た。平たく云えば、ここまで来るともう戦争はできないという限度!」。
しかし武藤の軍事リアリズムからすれば、以上の警告から約半年後には起きてはならないことが起きる。武藤の期待は裏切られることになる。(本文より)
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これを読んで、「石油が無い?じゃあ、南方の石油を取っちゃえばいいじゃん!」と思ったんでしょうか。
実は戦前、公衆衛生がかなり改善されたことも紹介されています。
<本文引用>------------
厚生省が国民体位低下に対する陸軍の危機感によって設置されたことは、この論考でも当然の前提となっている。この国民体位の向上との関連において医療保護事業の重要性が増す。問題は医療機関が都市に偏在していることだった。医師の「自発的開業」に委ねていてはだめだった。医療機関の偏在を是正すべく、公共団体や類似の団体による農村医療施設の建設に向けていっそうの努力が求められた。兵士の大部分が農村出身であることを想起すれば、当然の施策だった。
この論考は最後に「児童保護事業」にふれる。児童保護には「妊産婦及乳幼児保護」、「母子保護」、「貧児保護」、「労働少年保護」、「不良、異常児童保護」、「児童虐待防止」などがある。 すでに一九三七年三月に施行された母子保護法によって、約九万の母子が救済されることになった。「第二国民」としての児童保護は、戦争遂行上も必要だった。
以上のような戦時社会福祉政策は、「ナチスの社会事業精神と一脈通ずるもの」があった。戦時下の社会福祉政策の国家社会主義化(北山の言う「全体主義」化)は、ヒトラーのドイツのナチズムと紙一重だった。(本文より)
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公衆衛生の改善って、戦争の準備のためにも必要なんですね。
岩波書店より1955年(昭和30年)11月に遠山茂樹・今井清一・藤原彰共著の『昭和史』が発表されます。
<本文引用>------------
大きな広告を打ったのではなかった。ところが一一月一六日に初版二万五〇〇〇部で発売すると、即日品切れとなった。増刷を重ねた。『昭和史』は翌一九五六年、ベストセラーの第五位になった。読者の投書のなかでも、多くは「感激した、荒っぽさの中にも情熱の迫力を感じた」という感想だった(大門正克編著『昭和史論争を問う』)。
『昭和史』」の「はしがき」は言う。「なぜ私たち国民が戦争にまきこまれ、おしながされたのか、なぜ国民の力でこれを防ぐことができなかったのか」。読者はこのことをもっとも知りたがっていたはずである。答えを得られた読者は「感激した」。読者は誰もが戦争個別の体験は戦争の全体像のどの部分だったのか。読者は大きな見取り図を求めていた。
読者の感想のなかの「荒っぽさ」は、『昭和史』のシンプルでわかりやすい分析枠組みと関連していたのではなかったか。この本は、「支配階級」対「被支配階級」、あるいは天皇制下の軍部・「独占資本」対共産党の二項対立の構図で昭和史を描いている。たとえば満州事変の本質とは、「政治的には、国内の敵化する階級闘争を外にそらし」、「経済的には、大恐慌からの出口を、満州市場の独占と戦争経済に求めたことにあった」となっている。(本文より)
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ベストセラーとは。
昭和の世論は過去の戦争を知りたいという欲求が強かったんですね。
しかしこの『昭和史』は論争を巻き起こしたんだそうです。
<本文引用>------------
『昭和史』は大きな論争を巻き起こす。なかでも文芸評論家の亀井勝一郎(戦前、社会主義の立場から転向して『日本浪漫派』誌上において文芸評論を発表していた)の「人間不在」との批判がよく知られている。
亀井の批判に対して、共著者のひとり遠山茂樹は、『昭和史』の二項対立の構図が一九三二年五月に決定されたコミンテルン(共産主義インターナショナル)の三二年テーゼ「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」に依拠していることを認めている(『昭和史論争を問う』)。読者のひとりが感じた「情熱の迫力」とは、三二年テーゼに基づいてまずは「ブルジョア革命」、そのつぎに「プロレタリア革命」をめざした著者たちの「情熱の迫力」だったのかもしれない。
推測すると、多くの読者が関心を持ったのは、共産党への期待よりも、「支配階級」の構造だったのではないか。『昭和史』をとおして、「支配階級」の構造を知ることは、同時代においてそれ相応の理由があった。なぜならば独立回復後の日本に訪れたのは、戦前を想起させる「逆コース」だったからである。 実際のところ、戦前の政党政治家が復活しようとしていた。(本文より)
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コミンテルンの意図を組んで発表された『昭和史』。
ベストセラーになった『昭和史』。
しかし、現在の日本を見ている限り、コミンテルンの意図は実現していないようです。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
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■読んだきっかけ:Amazon
■読んで知ったこと:書物を巡る論争「昭和史論争」。
■今度読みたくなった作品:『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』井上寿一
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新書 昭和史 短い戦争と長い平和 (講談社現代新書) - 井上寿一






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