『戦争はいつでも同じ』

戦時下における政権、メディア、知識人のトライアングル。


「知識人」と呼ばれる人たちがいます。

学者、研究者、評論家、ジャーナリスト、作家、思想家などを指すようです。

人文学の分野である経済、外交などを見ると、同じ「知識人」に属している人たちであっても、結構、意見が違っている場面をなんども見かけます。

実験や計算などによる検証が難しいこれらの分野では、なかなか「共通解」を見つけることは難しいのかもしれません。


――――――――――――

書名:『戦争はいつでも同じ』

著者:スラヴェンカ・ドラクリッチ(著)、栃井裕美(訳)

出版:人文書院(2024.10)

――――――――――――


著者はクロアチア出身のジャーナリスト、作家。

著者が体験したユーゴスラヴィア紛争で普通の人びとの日常はどのように変わり、隣人を憎むようになるかを解説します。


翻訳ものです。

原題は『RAT JE SVUGDJE ISTI』。

これはクロアチア語で、直訳すると『戦争はどこでも同じだ』です。


著者はユーゴスラヴィア紛争に接していた普通の人びとをどう見るようになったのか。


<本文引用>------------

およそ二年続いた紛争の後、世界は依然としてセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人を、不可解な理由で互いに殺し合う原始人よりはマシな存在くらいにしか見ていない。私たちの人間性を否定する者はいない――西側世界も私たちに人道支援をしてくれている。しかし、明らかに自分たちとは違うと考えている。(本文より)

------------------------


更に、この紛争に対する西ヨーロッパを次のように評価します。


<本文引用>------------

この戦争は、西欧諸国が越えようとしない国境の向こうにあるゲットーで起こっている。戦争の残虐さを重く捉えるのは、戦争に加担する個人と同様に、結局のところ精神的な壁を強固にしただけだった。西側諸国からの真の連帯や理解を得るのは難しく、軍事介入は長引く一方だ。

最悪なのは、怪物も異なる境遇に置かれているだけで、私たちと同じ普通の人間なのだと理解し受け入れてしまうことだろう。だからこそ普通の人々であれ、民族全体であれ、国家であれ、ある特定の地域であれ、異なる文化であれ、怪物を必要としているのだ――自分たちの血塗られた手を洗うための必要不可欠な存在として。(一九九三年)(本文より)

------------------------


バルカン半島。


<本文引用>------------

外国では、戦争はバルカン半島の人々――セルビア人であれ、クロアチア人であれ、ボシュニャク人であれ、アルバニア人であれ――の間に蔓延した「憎しみの世紀」の後に始まったのだと、私たちは皆ある種の希少種であり、変異し続けるナショナリズムという感染力の高い恐ろしい病気の犠牲者なのだと長い間信じられてきた。だが、旧ユーゴスラヴィアの戦争の真の原因は一人の人間とその一派の政治的野心にあった。ミロシェヴィッチはNATOの爆撃で国が破壊されようとも、何がなんでも政権の座の維持に固執した。また、政治意思も、軍隊も警察も有していた。スロヴェニア、クロアチア、ボスニア、コソヴォで戦争を引き起こし――それで十分な生計を立てていた。バルカン半島の戦争は、些細な対立の拡大によって下から始まったのではない。そうではなく、国のトップ自らが計画した戦争だったのだ。このことはミロシェヴィッチの裁判を通じて誰の目にも明らかとなるだろう。

しかし、真実にはセルビア人が敬遠する側面もある。セルビア国民の支持なくしては、スロボダン・ミロシェヴィッチは一連の戦争を仕掛けられなかったであろう。彼には軍隊があったが、国民からの正当性も必要としていた。そして、手中に収めたのである。言い換えれば、セルビア人は投票を通じて共犯者となったのだと理解せねばならない。ミロシェヴィッチが引き渡されたからといって、罪の意識から解き放たれ、穏やかに眠れるというわけではない。何千もの人々が身柄引き渡しに抗議するのを見るのは遺憾の極みであった。ミロシェヴィッチは強大な権力を掌握する一方で、何百万人もの人々に支持されていたのだ。だが独裁者の典型的な宿命であろうか。権力の座から降りた途端、すぐに忘れ去られてしまう。(本文より)

------------------------


どんな政権だったかは別として、国民の支持を受けて誕生した政権である事実もしています。

この国民の支持の背景には知識人の活動があるといしています。


<本文引用>------------

作家たちはミロシェヴィッチ政権の支配下に置かれたメディアで、歴史家やジャーナリストの協力を得て、多民族社会には大抵存在する往年の日々の民族間の憎悪を利用し煽り立てた。なぜ現前しない過去からの憎悪なのか。それは、第二次世界大戦が終結してから四○年が経ち、新しい世代は憎悪感情も民族対立もなく成長したからである。西側の大多数の意見とは裏腹に、旧ユーゴスラヴィアのナショナリズムは、抑圧されていたというよりも忘れ去られていた。ボーランドの歴史家アダム・ミフニクから拝借したお気に入りの例えに倣うと、ナショナリズムはまさにウイルスのように、条件が揃ったときにのみ目覚めるのである。ユーゴスラヴィアにおいても然りであったと言えようか。(本文より)

------------------------


政権、メディア、知識人。

これらの関係は本作のタイトル通り

「いつでも同じ」

といったところなんですね。


◆頭の中でシンクロした他の完読作品

『戦争はいつでも同じ』

『新版 メディアとテロリズム』 

『通州事件 日中戦争泥沼化への道』

『朝日新聞の中国侵略』

『「わかりやすさ」を疑え』

『「反権力」は正義ですか』 

『みんな政治でバカになる』 

『「嫌われ者」の正体:日本のトリックスター』 


――――――――――――

■読んだきっかけ:『ポスト・ヨーロッパ: 共産主義後をどう生き抜くか』スラヴェンカ・ドラクリッチ

■読んで知ったこと:戦時下における政権、メディア、知識人のトライアングル。

■今度読みたくなった作品:『バルカン・エクスプレス: 女心とユーゴ戦争』スラヴェンカ・ドラクリッチ(著)

――――――――――――


1087_戦争はいつでも同じ.png










この記事へのコメント