西ドイツ時代から存在していた外国人問題。
2025年2月13日、ドイツ南部のミュンヘンで、アフガニスタン出身の24歳の男性が運転する車が労働組合のデモ隊に突っ込み、少なくとも28人が負傷する事件が発生しました。犯人は亡命希望なのだそうです。
「亡命が認められないなら、群衆に突っ込んでもいいい」という価値観、道徳観、正義感をもっているということでしょうか。
ドイツでは2025年2月23日に総選挙が実施されました。
20年ぶりに議会解散に伴う総選挙でした。
この選挙結果が注目されたことの一つが、移民政策に否定的な極右政党といわれるドイツのための選択肢(AfD)の躍進でした。
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書名:『繁栄西ドイツが落ちた罠: 日本は本当に大丈夫か』
著者:西義之(著)
出版:光文社(1988.06)
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著者はドイツ文学者、評論家、翻訳家で東京大学教養学部名誉教授。
豊富なドイツに関する知識を駆使して、西ドイツが現状抱える問題を指摘するとともに、日本への警鐘を鳴らします。
まずは、本作のタイトルに注目です。
「ドイツ」ではなく、「西ドイツ」となっています。
本作は1988年の作品です。
日本でたびたび話題になるのが日本国内に駐屯するアメリカ軍の人数です。
本作では、当時の西ドイツに駐屯するアメリカ軍をはじめとするNATO軍の規模を紹介しています。
<本文引用>------------
ところで、西ドイツにも日本と同じくいぜんとして外国軍隊が駐留している。日本の場合は、沖縄の嘉手納基地はじめ、各地にアメリカ軍が駐屯しているが、それでもドイツ内のNATO軍の比ではない。
人数にすると、
アメリカ軍 二十三万三千人
イギリス軍 六万五千人
フランス軍 五万人
ベルギー軍 三万二千人
オランダ軍 六千七百人
カナダ軍 五千四百人
これらの駐留軍の大部分は、通常兵器部隊であって、核武装しているのはアメリカ軍だけである。そして最終段階で核の引き金を引くのはアメリカ軍である。いまバイエルン州首相であるシュトラウスは、国防大臣だったころ、ドイツ国内の駐留軍とドイツ国防軍は平等の資格をもつ平等の資格をもつのだから、アメリカ軍だけが核を専有するのは問題だと発言して物議をかもしたことがある。ドイツ国防軍にも同等の権利を与えよといいたかったらしいが、これは過激すぎて、どこからも賛成の声は聞こえず、シュトラウスのタカ派的イメージが強まっただけであった。
もっともシュトラウスにしてみれば、ドイツの生死を賭けた国家防衛の鍵ともいえる核の引き 、アメリカだけにまかせておけないということで、この思想は前述したドゴール大統領と同じなのである。ドゴール大統領は、その意味で、フランスをNATO軍事組織から脱退させ、フランス独自の核開発に踏み切ったのであった。(本文より)
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ちなみに、2020年にドイツに駐留するNATO軍の規模は、主にアメリカ軍が中心で、約3万4500人ですから、本作が書かれていた当時の冷戦がどのくらい緊迫していたのかが想像できます。
西ドイツは経済復興に向けた人手不足に対応するため、外国人労働者を利用したことが紹介されています。
<本文引用>------------
西ドイツ側としては、二十年前に外国人労働者の入国を歓迎したが、その家族、親戚まで続々と入国するとは予想していなかったフシがある。労働者がドイツ女性と結婚して居ついてしまうことはありうると考えていたらしいが、なんと(とくにトルコ人にとって)西ドイツは出稼ぎ国ではなくて、移民国となっていたのである。
最近十年間に、外国人労働者は四百六十五万人にふくれ上がるとともに、その五四パーセントはトルコ人で、しかも永住したい希望をもっていることが分かってきた。これはとくにトルコの政情が不安定で、失業者が多いことと関係がある。最近日本でも公開されたトルコ映画「群れ」「敵」などを見ると、そのことがよく分かる。(本文より)
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外国人労働者が「出稼ぎ労働者」になるのか、「移民」になるのか?
トルコ人労働者は「移民」になっていったんですね。
この当時から「増える外国人を何とかしよう」という国内世論があったことを紹介しています。
<本文引用>------------
ヨーロッパの国々のなかでは、総人口のうち外国人の占める率は、スイスが最高で一四パーセント、西ドイツは七・五パーセント、オーストリアは三・七パーセントである。スイスでは「外国人過剰」の声がとくに高く、これまで何度か国民直接投票を行なって、外国人追い出しにかかったが、そのたびごとに僅少差で否決されている。そんな事情も考慮しないで、スイスを「理想国家」でないといってみてもはじまらない。もともと「理想国家」なんてどこにも存在するはずはないし、スイスを「理想国家」だと持ち上げたのは、「軍備をもたない平和国家」だと幻想した戦後の日本人だけだったのである。(本文より)
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スイス出羽守って同時からいたんですね。
西ドイツにはトルコ人以外の外国人がいたわけですが、とりわけ、トルコ人が問題になるのが宗教のようです。
<本文引用>------------
宗教的要因は、他国に同化できるかどうかに大きな役割を演ずる。トルコ人の場合がそれで、彼らのイスラム教はドイツの風土には、なじみにくい。さらに加えてポルトガル人、スペイン人、イタリア人の多くは出稼ぎ意識が強く、ある額の金を懐ろにするとふたたび故国に帰って行くのだが、トルコ人の場合、どんどん家族を呼びよせ、いや、親戚・知人まで同居するということが起こった。新聞の報ずるところでは、一部屋に十人ぐらいの家族が雑魚寝して共同生活を送っていたりした。
これらは不法入国者であるが、不法入国者にはパキスタン人、ガーナ人まで加わった。彼らは直接その母国から来るのではなく、イギリス、オランダ、フランスなどに何年か住み、いわば 「くいっぱぐれ」となって西ドイツへ入ってくるのが多い。
どうしてこんなことになったのか? ガーナ人は別として、トルコ人もEC加盟国の一員ということがここで問題であろう。そしてEC加盟国の人々には、そのほかの国の人々(日本人など)より入国許可、滞在許可がおりやすいからであった。かくてトルコ人は百四十万人となってドイツにどっかと腰を落ち着け、その子供たちはどんどん増えていった。社民党の某代議士のいうごとく、「外国人問題はトルコ人問題だ」となるのである。(本文より)
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こうした外国人労働者は経済が好調の時はそれほど問題にならないのですが、景気が悪くなると、表面化します。
それは「労働者」が「失業者」に変わるからです。
<本文引用>------------
失業者問題が、繁栄するドイツ経済の影の部分として浮かび上がってくると、このトルコ人の失業者も増大し、外国人失業者二十万九千人の五分の二がトルコ人という数字になってくる。しかも在独トルコ人は、トルコ本国に七十万人の親戚・縁者を抱えていて、彼らもまた入国・滞在したいとの希望を表明しているのである。
さらに、在独トルコ人の子供たち――第二世代がすでに結婚適齢期にある。彼らは本国からお嫁さんをつれてくる権利をもっている。いや、本当の結婚相手ならまだいいが、「シャイン・エーエ」といって「名義貸しのインチキ結婚」もあって、その闇の金額は数千マルクとの噂も流れている。もう一つのインチキは、トルコを出るとき十八歳に達しているのに、これを十六歳と偽り、ドイツへ来て「子供養育費(キンダーゲルト)」を請求する例である。しかも、トルコ政府もこの年齢詐称を大目にみているといわれている。(本文より)
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働くために西ドイツに行けなくなった外国人は、今度は亡命者として西ドイツに行こうとし始めます。
<本文引用>------------
西ドイツ政府が最近このようなインチキに厳しく対処するようになると、こんどはにわかにトルコ人亡命者が増えてきた。一九八○年で十万八千人にのぼった。それらはみな自らを「政治的亡命」と称しているが、本当はその九○パーセントが本国における経済的貧困に原因しているといわれる。 亡命希望者は、この一九八二年をピークにして急激に減ったが、それでも結構多く、政府の頭痛の種になっている。
一九八一年 約五万人
八二年 約三万七千人
八三年 約二万人
そして
八五年 約七万三千人
また、亡命希望者が増えると金もかかる。亡命希望者を、滞在許可の出るまで住まわせておく宿舎、生活保護費は毎年、億という額ですまない。西ドイツの「カップ・アナムール」という船が、ベトナム海域で、いわゆるボート・ピープルという「ベトナム難民」を救助し、西ドイツにつれ帰っている慈善事業は有名であるが、有名なだけにいまや風当たりも強い。(本文より)
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これって、今のドイツの問題と全く変わっていないように思えます。
メルケル政権って、過去のこうした問題をまったく参考にしなかったのかな?
こうした状況から出てくるトラブルは学校教育の現場にも現れてきます。
<本文引用>------------
青少年問題、学校の問題も非常に難しいところにきている。
現在西ドイツの学校に約百万人の、十六歳以下の外国人子弟が通っているという。ところが大都会ではとくに目立つのだが、一クラスにドイツ人の子供がほとんどいないのである。先に書いた西ベルリン、クロイツベルク地区の諸学校では、外国人(主にトルコ人)子弟の数は七〇パーセントに達しているという。
ことにトルコ人は集団で住んでいるので、家庭ではトルコ語しか使わない。西ドイツのトルコ人女性は五十万人といわれるが、 ほとんどがドイツ語を話さず、トルコ語かクルド語のみしゃべり、その子供たちもイスラム風に育てたがるそうだ。したがって子供たちの多くもドイツ語を覚えようとせず、学校でも授業についていけず、黙って机に座っているのが増えてくる。先生は少数のドイツ人の子供を相手に、授業しなければならない。クラス別にしようとすると、「差別だ」という声が聞こえるし、クラスを同じくするとドイツ語の習熟がさらに遅れるという悪循環に陥る。
デュイスブルク=ヒュッテンハイムの小学校になると、九〇パーセントがトルコ人の子供だという。こうなるとドイツ人の子供たちの授業がまともに行なわれなくなる。三年ほど前、とうとうトルコ語で授業してもいいということになったが、トルコ語のできる教師不足でこれまたうまく機能していない。
最近、ある学校の先生が、トルコ人の子供に社会科の授業を行なうことを拒否して、裁判沙汰になった。しかし裁判の結果、それもやむをえないということになったようである。社会科授業というのは、西ドイツの地理、歴史を教えるのだが、トルコ人にとってはそんなものはどうでもよいらしく、授業自体が成立しないのだ。
かくてドイツ人家庭では、自分たちの子供を公立学校にやるのを諦めて、私立のミッションスクールへ通わせるのが多くなったという。私立は外国人の子供を受け入れる義務をおうていないからである。フランクフルトの小学校の校長のなかには、近い将来はドイツ人の子供と外国人の子供とを一緒に教育することは不可能になるだろうと説く人さえある。つまりフランクフルトあたりでは、トルコ人だけでなく、(日本人を含めて)ありとあらゆる国籍の子供が入学してくるからなのである。(本文より)
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西ドイツに関する教育をまともに受けない、西ドイツの言葉を話さない。
そんな若者が景気絶好調の時期ならまだしも、景気低迷期に世間に放たれたら何が起きるか?
容易に想像がつきます。
<本文引用>------------
また外国人労働者が急激に増えたころ、それを心配する人々は、犯罪もまた比例して増えるのではないか、と警告を発していた。その警告は、しばらくはあたらなかったのであるが、外国人が第二世代、第三世代となってくると、にわかに外国人犯罪が増加し、いまや憂慮すべき数字を示しはじめたといわれる。
それはたんにコソ泥などの小犯罪が増加しただけでなく、殺人、傷害、強盗、強姦の犯罪が、 十四歳から十八歳の青年において激増した。同年代のドイツ人青少年と比較すると、殺人で三三四パーセント増、強盗一八一パーセント増、強姦三三九パーセント増となっている。専門家によると、その犯罪形態は急速にアメリカのスラム街のそれに似てきているといわれる。ドナウ河畔の人口二万人の町ノイブルクでは、失業中の外国人青年約三百人が毎晩のごとく街を徘徊し、女子供は外出できない状態だといわれる。また、ケルンという町はとくに「外国人様い」ではないつもりだが、街の璧に「トルコ人ゴーホーム」の落書きが増えつつあるというし、ケルン・マルクス教会が一九八二年一月からトルコ人を信徒にしようとしたところ、教区信者たちから、それでは私たちは信徒会から退会するという申し出を受けたそうだ。(本文より)
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「私たちに福祉や安全を犠牲にしてまで、外国人に寛容な政策を行っている」と自国民が感じたらどうなるか?
2025年に行われたドイツの総選挙。
選挙結果を見ると、「排外主義」を掲げるプレーヤーに、新たに「旧東ドイツ国民」が加わったように見えます。
本作を読んでいると、「排外主義」って政策によって生み出されるものなのではないか、そんな風に思ってしまいました。
しかし、本作。
1998年の作品ですが、改めて読み直す価値がありそうですね。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
『繁栄西ドイツが落ちた罠: 日本は本当に大丈夫か』
『移民 難民 ドイツ・ヨーロッパの現実』
『最底辺 Ganz unten ―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ』
『難民問題 -イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題』
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■読んだきっかけ:X(旧Twitter)
■読んで知ったこと:西ドイツ時代から存在していた外国人問題。
■今度読みたくなった作品:『ヒットラーがそこへやってきた 新装版』西義之
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