現実からいちど距離をとり、ふたたび焦点を結ぶ。
雑誌のジャンルに「批評誌」と「論壇誌」があります。
どちらも思想や言論を扱う雑誌です。
ただ、扱うジャンルが異なるようです。
色々調べてみた結果、私としては、こんな風に理解しました。
文学、芸術、映画、音楽、哲学など文化や表現に関する批評が中心なのが「批評誌」。
政治、経済、社会問題、国際情勢などに関する議論や提言が中心なのが「論壇誌」。
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書名:『ゲンロン1 現代日本の批評』
著者:東浩紀(編)他
出版:株式会社ゲンロン(2015.12)
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本誌は批評家の東浩紀氏が2008年から2013年まで刊行された思想誌『思想地図』を継承し、2015年12月に創刊した批評誌。
編者は批評家・作家で、株式会社ゲンロン創業者。
創刊にあたっての編者、東浩紀氏の言葉です。
<本文引用>------------
批評誌『ゲンロン』の創刊号をお送りする。年三回の刊行予定で、とりあえずは三年間、九冊の出版を目指している。ぼくが倒れたり、ゲンロンが倒産したりしないかぎり、二〇一八年の夏までは続けるつもりである。
いま「批評誌」と記したが、本誌が目指すジャンルを正確にはなんと呼ぶべきか、じつはむずかしい。
本誌には、いまここの現実をそのまま映し、働きかける言葉ではなく、現実からいちど距離をとって、さまざまな思考の鏡に反射させたうえで、ふたたび焦点を結ぶような言葉を掲載するつもりである。それは、現実と関係しているようで関係していない。あるいは、現実と関係していないようで関係している。たとえば今号の小特集「テロの時代の芸術」は、いまの日本の政治状況に関係しているようで関係していないし、関係していないようで関係している。本誌の現実との距離感はそのようなものである。(本文より)
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「現実からいちど距離をとって、さまざまな思考の鏡に反射させたうえで、ふたたび焦点を結ぶ」。
私が入学した大学は中央大学経済学部。
入学書類の中に「履修要綱」というものがあり、そこから履修する科目を選ぶわけですが、そこで「マクロ経済」と「ミクロ経済」という言葉を目にしました。
高校時代、少し、カメラ(もちろん1980年代当時ですからフィルムカメラです)をやっていた私。
カメラ雑誌で「マクロレンズ」という存在を知っていたので、「マクロ経済? 小さな経済を拡大する経済? なんだそれ?」って感じでした。
また、子どもの頃、「小さな巨人 ミクロマン」というおもちゃ、テレビアニメ「ミクロイドS」、映画「『ミクロの決死圏(原題: Fantastic Voyage)」に触れていた私。
なんとなく、“ミクロ”=“小さいもの”と理解しており、「ミクロ経済? 小さな経済? なんだそれ?」って感じでした。
「マクロ的な視点」は、全体像を捉えるための視点です。経済学では国家全体や世界経済などの大きな枠組みで物事を考えることを指します。具体的には、国内総生産(GDP)、失業率、インフレーションなどの広範な経済指標を分析するときに用いられます。
「ミクロ的な視点」は、細部や個別の要素を捉えるための視点です。経済学では個々の企業、家庭、消費者の行動など、小さな単位で物事を考えることを指します。具体的には、価格の決定、需要と供給、個々の市場や産業の分析に焦点を当てます。
「マクロ経済」と「ミクロ経済」ってこういう概念なんですね。
さて「現実からいちど距離をとって、さまざまな思考の鏡に反射させたうえで、ふたたび焦点を結ぶ」。
これって、「ミクロ的な視点」で得た知見をさらに掘り下げていくのではなく、いったん、距離を置いて、「マクロ的な視点」で見つめなおし、再度、「ミクロ的な視点」を再考する。
こんな風に私なりに理解してみました。
「共同討議 昭和批評の諸問題 1975-1989」では、市川真人氏、大澤聡氏、福嶋亮大史、東浩紀氏が意見を交わします。
保守言論で取り上げられることの多い江藤淳氏と、彼の著書『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』が取り上げられます。
私も以前読みましたが、戦後の言論空間がGHQによる制限を受け、その制限に日本人の一部が加担していたことが指摘されていました。
<本文引用>------------
東 どちらかというと、ぼくが評価したの は逆にそこなんですね。江藤淳の精神はいまもネトウヨに生きている。『閉された言空間』を読み返してみると、驚くほどネトウヨと似た主張が書かれています。われわれはネトウヨを相手にしているつもりで、じつは江藤淳を相手にしている。裏返せば、江藤の影響力はそれほどまでに強く生きているわけです。
たとえば江藤さんはこの本で、戦後の左翼はある種の偽史を信じていると指摘しています。偽史はアメリカによって作られたものなのだけれど、ボケた左翼はその起源すら忘れている。だからわれわれは、図書館に籠もり、資料にあたって偽史の背後にある真実を掘り起こさねばならないと。これはまさに、ネットで検索ばかりやっているネトウヨ的な行動原理でしょう。(本文より)
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この「ネトウヨ」という表現。
右派的な人間に対する侮蔑的な言葉として、よく登場します。
ちなみに左派的な人間に対する侮蔑的な言葉として、「パヨク」というものがあります。
私は発言の中で「ネトウヨ」と「パヨク」のどちらの言葉が多く発せられるかで、その言語空間が「右派的な言語空間」なのか「左派的な言語空間」かの“傾向”を感じ取っています。
<本文引用>------------
市川 ネトウヨ的な考え方は、ある種の自己疎外的な感覚を伴うんでしょうね。正しい歴史からわれわれはパージされているから、それを改め本来的な自己としての国家を取り戻さなければならない、みたいな。
東 そう。だからマスコミ批判にも結びつく。『閉された言語空間』は、日本の戦後メディアは真実を忘却している、だからわたしたちが真実の歴史を発見する必要がある、そしてそれが日本人の誇りの回復につながる、というネトウヨ的な論理を非常にクリアに提示している。江藤のこの本は、その点できわめてアクチュアルです。いま評論の世界では江藤淳の名をほとんど 聞かないけれど、じつはわれわれが直面し、頭を悩ませているネトウヨのパラダイムは彼によって作られているんですよ。その点で絶対に江藤の名は外せない。八〇年代のニューアカ=ポストモダン系の「日本こそ最先端のポストモダンだ」的な言説も、 クールジャパンあたりにかたちを変えて生き残っているとは言えるけれど、江藤淳の浸透ぶりにはかなわない。(本文より)
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このメンバーの共同討議では、江藤淳氏の主張は叩かれまくっています。
<本文引用>------------
東 そりゃそうでしょう(笑)。でも、江藤の主張は、戦中の検閲が現実にいかにひどかったとしても関係ない、独特の論理なんですよね。そこもネトウヨ的です。
福嶋 おもしろいですね。ただ、細かいことで恐縮ですが、いまネトウヨはアメリカが好きだと思いますよ。
東 たしかに。その点では、本来の江藤淳は、反米保守の宮台真司や小林よしのりに引き継がれている。
大澤 他方、エビデンス主義の悪しき側面だけはネトウヨに受け継がれる。
東 『閉された言語空間』は、いま風に 言えば「ソースあります」ばかりの本です。同じ八○年代の江藤の本でも、『近代以前』(八五年)なんかは、エビデンス主義にはほど遠く、あくまでも文芸評論家として儒学の歴史を再構成しているわけで、まったく印象がちがいますね。
福嶋 『近代以前』では、戦後の文化破壊と関ヶ原以降の文化破壊を重ねているわけですね。つまり江戸文芸について語っていることが、そのまま戦後の文化の問題に二重写しになる。たしかに、そういう繊細さは 『閉された言語空間』にはないでしょうね。
東 『閉された言語空間』はじつに単純な本なんですよ。とにかく日本がまずいのはGHQのせい、それはブランゲ文庫に行けばわかる、具体的なソースもある。それだけ。だからこそ、逆に力を持った。
大澤 そのソースもじつは怪しいんですけどね。とにもかくにも、批評家が膨大なアーカイブやデータベースに中途半端にアクセスすると、たいていろくなことにならない(笑)。あるていどのトレーニングを積んで、免疫をつけた研究者ならば多少は冷静に対処できるんだろうけど、批評家の場合は資料そのものに触れ慣れていないから、それだけでもうテンションがぐわーっと上がってしまって調子を崩しがち。網羅的な精査を欠いたまま部分へと短絡してしまって、それを運命的な発見だと思い込んでしまう。
もちろんそれが批評的な芸にもなるわけですが。実際、この本の江藤の筆致はたびたび正気を失いかけている。
東 そうなんですよね。「ウォー・ギルト・インフォメーション」に触れるあたりはものすごい。ひとつ引用します。「つまり、正確にいえば彼らは、正当な資料批判にもとづく歴史記述によって教育されるかわりに、知らず知らずのうちに『ウォー・ギルト・ インフォメーション・プログラム』の宣伝によって、間接的に洗脳されてしまった世代というほかない」などと書いている。これは本当に江藤淳の文章なのか。
福嶋 押井守の偽史っぽい(笑)。
市川 しかも、ネトウヨ的なテンションの上がり方で言えば、江藤さんは恋文を米軍が検閲したことに対して、非常に情緒的に怒るわけですよね。こんなものまで検関するのか、と。気持ちはわかるけど、そこまで怒ることかと。(本文より)
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興味深い意見です。
私が中学や高校時代の日本史の授業では、どちらの教師も徹底的に「戦前日本は悪、戦前日本は軍事独裁」を連呼していました。
でも、色々な本を読んでいくと、実は民衆自体が、日本の大陸進出を望んでいた傾向があったことを知りました。
(もっとも、「戦前日本は悪、戦前日本は軍事独裁」を主張する人は、こうした行為も「戦前日本の政府に仕向けられた」と主張するわけですが・・・)
できれば次回、江藤淳氏がこのような主張を展開するに至った背景、そして、なぜ、その言説が受け入れられるに至ったのか。
こうした社会背景について、もっと知りたくなりました。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
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■読んだきっかけ:『ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる』 東浩紀(著)
■読んで知ったこと:現実からいちど距離をとり、ふたたび焦点を結ぶ。
■今度読みたくなった作品:『ゲンロン2 慰霊の空間』東浩紀(編)
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ゲンロン1 現代日本の批評 - 東 浩紀, 鈴木 忠志, 大澤 聡, 市川 真人, 福嶋 亮大, 佐々木 敦, 安藤 礼二, 黒瀬 陽平, 速水 健朗, 井出 明






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