現実社会は道徳的直観と功利主義の仁義なき戦い。
家族や知人と政治に関する議論をしていくと、大抵行き着くのは「今の政治が悪い」「今の政治家が悪い」。
まあ、「悪い」点はあるんでしょうが、じゃあ、昔は「良い」のかと言えば、どうもそうではないように思っています。
第50回衆議院選挙が2024年10月15日公示、27日投開票されました。
立憲民主党は徹底して「政治とカネ」を連呼。
一部メディアの選挙特番を見ると、自民党が政治資金収支報告書に不記載があった議員には「裏」とか「お金マーク」を付ける徹底ぶり。
でも、そこで出てくる金額。
50年以上生きている私には、金額の規模がどんどん小さく、しょぼくなっているように思えています。
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書名:『みんな政治でバカになる』
著者:綿野恵太(著)
出版:晶文社(2021.09)
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著者は元出版社勤務の文筆家。
人がなぜ「政治」について語ろうとすると「バカ」になるかを解説し、そうならないための方法を提言します。
2024年10月27日、第50回衆議院選挙が投開票されました。
TVや新聞はこぞって「政治とカネ」をテーマ設定し、これに乗るように、野党第一党の立憲民主党は選挙活動で「政治とカネ」を連呼。
一方、批判される自由民主党はこれに応えるかのように「政治とカネ」に対応するため、候補者の公認を取り消したりするなどで対応。
そんな中、自由民主党は衆議院選挙で公認候補者に加えて、非公認候補者が代表を務める政党支部などに対しても党勢拡大のための活動費として2000万円を支給したことが発覚。
選挙結果は自由民主党の惨敗。
個人的な印象では、自由民主党のオウンゴールで負けたように見えました。
こうした「政治とカネ」が話題になった今回の選挙に対し、実にわかりやすい指摘をしてくれた人がいます。
それが郵便学者内藤陽介さんです。
内藤さんの指摘はこんな感じです。
①雇用や安全保障などは一定の知識が無いと難しいテーマ。
②「政治と金」は知識がなくても○×が付けやすいテーマ。
で、立憲民主党やメディアが訴えるのはひたすら②。
有権者のハートをつかむには②がいいんでしょうが、実際の政治って、①に取り組まなければならないことをわかっているのかなあって思ってしまいます。
大きく議席を伸ばした立憲民主党の代表、野田佳彦氏。
10月27日夜、優先政策について聞かれ、「まずは紙の保険証を使えるようにする」と述べたそうです。
「紙の保険証」って、「政治とカネ」に匹敵する、ほとんど考える必要のないテーマですね。
なんか、私には徹底的に①から逃げよう避けようとしているようにしか見えません。
「政治と金」って、ある意味、道徳的なテーマ。
でも、「道徳」だけで食べていけるほど、世の中は単純ではありません。
<本文引用>------------
たしかに組織のトップが現実主義(功利主義)的な判断を下すことを私たちはなんとなく知っている。たとえば、広島のヤクザの抗争を題材にした映画「仁義なき戦い」シリーズ(深作欣二監督)では、ヤクザの親分は対立相手の親分と電話で連絡を取り合う様子が描かれる。なかには自分の組員が襲撃に向かったことを教える親分もいる。襲撃が成功し、親分のタマ(命)を取ってしまえば、手打ち(和解)が難しくなるからだ。
ヤクザの親分は組の資金や人員といったコストを考えたうえで、抗争について現実主義的な判断をくだす。たいして、下っ端の組員は仲間が殺られたことへの報復、組のメンツをかけて暴走する。その結果、事態はこじれ、抗争の終結は遠のく。「仁義なき戦い」で描かれたのは、「功利主義」な判断を下すエリートと、「礼節」=道徳感情のままに生きる「大衆」の対立である。(本文より)
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現実社会では、道徳と功利の間を行ったり来たりしながら現実的な解を探すことが多いです。
道徳や正義を掲げれば、大手を振って相手を批判できます。
<本文引用>------------
もちろん、「許せない!」という「道徳感情」は政治において大きな力を持つ。しかし、「倫理的糾弾」に終始しては、不正や抑圧をもたらす制度や構造はそのまま放置されてしまう。当然ながら制度や構造を変革するためには長期的な取り組みが必要である。だが、大衆の 「直観」や「感情」は熱しやすく冷めやすい。「道徳感情」が向かう矛先は次々と入れ替わるばかりで、同じような「炎上」が繰り返されている。
インターネットにあふれる罵冒雑言や人格攻撃、誹謗中傷は、「われわれ」の「敵」に対する道徳的な怒りから生まれている。同じ考えを持つもの同士が集まり、共通の「敵」に対 して「怒り」に囚われれば、生まれ、性別、容姿、年齢といった属性を揶揄する言動も当然生まれてくる。すでに指摘したように、人間には「外集団同質性バイアス」「ステレオタイプ化」など差別につながる「認知バイアス」がある(「はじめに」を参照)。「認知バイアス」が 厄介なのは、たとえ反差別の立場を標榜したとしても、無意識のうちに「バカ」げた言動をしてしまう点にある。たとえば二○二一年に女性は話が長いといった発言をした森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員長(当時)には多くの非難が集まった。もちろん彼の発言は女性へのステレオタイプが満ちていて、非難されて当然なのだが、なかには「老害」という高齢者へのステレオタイプを表したネットスラングの使用は慎むべきだろう。(本文より)
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ですから私、道徳や正義を前面に主張してくる人を基本的に信用していません。
今回の選挙では少数政党の躍進が目立った印象です。
こうした政党の支持者のX(旧ツイッター)を見ると、基本的に「全部肯定」か「全部否定」かの2つ。
一部でも「否定」をしたと判定されれば、「全部肯定」派の総攻撃にあいので、どんどん離れていきますので、どんどん「全部肯定」に純粋化されているようです。
なんか、この様子を見ているとアイドルなどのファンクラブに見えてしまいます。
<本文引用>------------
ほとんどの人が政治的無知=バカであることを指摘してきた。大衆は自らの「生活」にしか興味を持たない。政治に関心がないので、政治的無知=バカである(合理的無知)。「いや、 そんなことはない、私は政治に詳しい」という人もいるだろう。たしかに法哲学者のイリヤ・ソミンは政治的知識の獲得に熱心な人々がいると指摘している。しかし、それは自らが所属する集団や党派(われわれ)を応援し、対立する集団や党派(あいつら)を嘲笑(あざわら)うためだという。つまり、阪神タイガースや浦和レッズを応援するスポーツファンのように、「政治ファン」なのである。自らの「部族主義」を満たすために政治的知識を勉強しているので、当然ながら獲得された知識は偏ったものとなる(合理的非合理性)。
ポピュリズムは「敵と味方を峻別する発想が強い」といわれる。このような「政治ファン」の存在は避けて通れないだろう。いや、むしろ、「政治ファン」が増えたほうが、影響力を高めることになる。彼らはフェイクニュースや陰謀論といった「勉強」の成果を披露し、TwitterやFacebookで拡散してくれるからである。ここからは「政治ファン」を「亜インテリ」と呼んで考察していく。(本文より)
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正義や道徳を否定する気はありませんが、その点だけに純化することへの怖さを改めて考えさせられました。
本作の著者の作品はこれが初めてです。
心理学者や社会学の多数の文献を上手く引用してくれているため、一冊読むと、別の本を読みたくさせてくれます。
◆頭の中でシンクロした他の完読作品
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■読んだきっかけ:文化放送「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」
■読んで知ったこと:現実社会は道徳的直観と功利主義の仁義なき戦い。
■今度読みたくなった作品:『「差別はいけない」とみんないうけれど。』綿野恵太(著)
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