『事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある』

自称リベラルな人たちは、若者から見れば「人の話を聞かない現実を見ない頑なで保守的な人たち」。

「是々非々」
わたしがモットーにしたいスタンスです。
あえて「したい」というのは、なかなか、その実践が難しい場面があるからです。
例えば仕事の企画で、ある一つだけの施策が上司のお気に召さず話がなかなか進まないとき、わたしはそこでその企画を引っ込めたりすることがあります。(是々非々だったら、言わんかい!って声が聞こえてきそうです)
例えば仲間と飲みに行くと、「なんかこの店やだなあ」と思っても、わたしはそこで「まっ、しゃーないか」といって、しぶしぶその店に入ったりすることがあります。(是々非々だったら、言わんかい!って声が聞こえてきそうです)
「是々非々」の実践はなかなか難しいものがあります。

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書名:『事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある』
著者:橘玲
出版:集英社(2019.07)
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著者は作家。
本作では、一見正しいとか間違っているとか判断している根拠が実は思い込み(「本能」)であることを明らかにし、「事実」に基づく判断の大切さを解説します。


これまでの作品で見られたような「事実に基づき主張する」「引用する場合は出典を明確にする」「是々非々で臨む」というスタンスはしっかり踏襲されています。

本作は雑誌『週刊プレイボーイ』に掲載されたコラムを、一部修正加筆し、再構成したものです。
そのため、その時話題になった事件事故を扱う回もあります。

中古品を売買するマーケットで、今やすっかり「顔」となったメルカリ。
そのメルカリに、なんと「現金」が出品されたそうです。

<本文引用>------------
ネット上のフリマサービスに現金が出品されていることが話題になりました。1万円札3枚が3万6000円、1万円札4枚が4万7300円で売れたというのです。なぜこんな不思議なことが起きるかというと、一部のひとがクレジットカードで(本文より)
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なーんか、クレジッカカードの枠を使って、実質現金を借り入れる手法に似てます。

<本文引用>------------
クレジットカードにはショッピング枠とキャッシング枠が設定されています。キャッシン グはATMなどから現金を引き出すことで、ほとんどの場合、利息制限法の上限である年20%(元金10万円未満の場合)の金利が上乗せされます。それに対してショッピング枠では、翌月一括払いであれば、クレジットカード会社に支出を立て替えてもらっても金利はかかりません(なぜこんなウマい話になっているかというと、店からカード会社に手数料が支払われる からです)。
現金を高い値段で買うという非合理的な行動は、カードのショッピング枠とキャッシング枠に大きな差があることから説明できます。
多重債務者対策の規制強化の影響で、クレジットカードのキャッシング枠はゴールドカードでも10万円程度しかないのがふつうです。その一方でショッピング枠は拡大される傾向にあり、いまや100万~300万円というのも珍しくありません。となると、カードローンやキャッシング枠がいっぱいになってしまったひとが、なんとかしてショッピング枠を利用しようと考えるのも無理はありません。このようにして、3万円を3万円6000円で買う取引が成立するのです。
クレジットカードの一覧括払いでは、最長で50日、最短でも20日間支払い立て替えてもらえます。そこから計算すると、この取引は年利換算で272%から2526%になります。 高利貸しの代名詞がトイチ(2日間で1割)で、これは年利3000%に相当しますから、ほぼそれに匹敵する暴利です。短にいえば、高利での借入に慣れたひとが納得できる絶妙な値付けになっているのでしょう。(本文より)
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「クレジットカードはお持ちですか? クレジットカードがあればご融資します」という個人向け金融の看板を見かけることがあります。

この看板見たとき、「なんで? キャッシングすればいいのに?」と思っていました。
で、そのカラクリを知って驚きましたが、今回のメルカリ1万円札出品も驚きです。

多重債務者の問題解決策として始まったキャッシング枠の上限。
借りたい人は何とかお金を借りる方法を探し、一方、お金を貸したい人は何とかお金を貸す方法を生み出すんですね。


最近、耳にすることが増えた「若者の右傾化」。

しかし、著者は、それを様々な世論調査の結果から否定。
むしろ、「右傾化」どころか、「変化を求めている」としている。

現在の自民党はほぼ一党盤石体制。
これに野党は「安倍政権を倒せ!」と言っています。

正直、私から見ても安倍政権の政策の中には「えー、これ、おかしいじゃん!」というものはあります。

若者は「変化を求めている」。
なのに、野党の支持は上がらない。
なぜか?

<本文引用>------------
日本の「左翼」は、冷戦下に「護憲」「非武装中立」という非現実的な理想にしがみつき、冷戦が終焉してグローバル世界のルールが大きく変わっても自らの政治イデオロギーを修正することが できず、エリート的な「無謬神話(自分はぜったいまちがえない)」で巨大な墓穴を掘ることになりました。 そのなれの果てが現在の「安倍一強」だと考えれば、そこになんの不思議もありません。(本文より)
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たしかに、日本の野党の主張は憲法論議に代表されるように、「今を絶対に変えない」という主張が目立ちます。
本当は、いろいろ政策案はあるのかもしれませんが、なんか「バリバリの保守」のように見えます。

<本文引用>------------
「リベラル」を自称するひとたちは「立憲主義を踏みにじる」安倍政権をさかんに批判しますが、その声高なプロバガンダが若者たちからほとんど相手にされないのは、安倍政権を生み出したのが自分自身だという「事実(ファクト)」から目をそらせているからでしょう。こうして、「民主主義を守れ」と拳を振り上げれば上げるほど若者たちは政治を忌避するようになります。(本文より)
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日本の野党では、立憲民主党や国民民主党が「私たちはリベラルだ」と言っているようですが、学生たちが学んだリベラルに照らし合わせると、「野党がリベラル? どこが??」という感じなんでしょうね。

<本文引用>------------
実証データからわかるのは、日本の若者も他国の若者たちと同じように「リベラル化」しており、変化や「革新」を求めていることです。とこが日本の「リベラル」はそうした期待にまったくこたえることができず、憲法から築地市場移転まで「変える」ことに頑強に反対してきました。その致命的な失敗を自覚しないかぎり、日本において「リベラルの復権」はあり得ないでしょう。(本文より)
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自称リベラルな人たちは、今度は共産党と組んで野党連合を結成し、安倍政権を打倒するそうです。

自称リベラルが、その対立軸にある全体主義である共産主義と手を組む。

で、どんな政策を実現しようとしているのかと思ったら、「やりたいことは安倍政権打倒だ!」って。
政権倒したあとも、人々は生活していかなければならないので、安倍政権打倒の後の絵が全く見えないと不安は募るばかりです。

前回の民主党政権のことを頭によぎらせると。こりゃ、野党による政権交代はまだまだ難しそうですね。


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■読んだきっかけ:書店店頭
■読んで知ったこと:自称リベラルな人たちは、若者から見れば「人の話や現実を見ない頑なで保守的な人たち」。
■今度読みたくなった作品:『上級国民/下級国民』橘玲
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『学習障害(LD)』

サバン症候群の知的障害等を支援した結果、驚異的に優れていた能力が退行してしまうケースがある。

1990年代、NHKで「ビバリーヒルズ高校白書」というアメリカの青春ドラマが放映されていました。
主人公の一人にドナ・マーティン、ドナちゃんという登場人物がいます。
お医者さんの子どもでもちろんお金持ちです。
でもって、ある回で「私は学習障害だから・・・」なんてセリフがありました。
今だったら、スマホやパソコンで「学習障害って何?」なんて感じで検索するのですが、当時はインターネットも無い時代。
そのまんま流してしまいました。

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書名:『学習障害(LD)』
著者:柘植雅義
出版:中央公論新社(2002.06)
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著者は名古屋市公立学校教員であり、国立特株教育総合研究所研究室長。
近年注目される「学習障害」の概念から、近年の日本の取り組みを解説しています。


「学習障害」
国立精神・神経医療研究センターのHPによれば、「知的な遅れや視聴覚の障害がなく、教育環境も整っておりまた本人の努力にも問題がないにもかかわらず、「読み書き」や「計算」など特定の領域で学習の遅れがみられる状態を指します。」となっています。

日本の教育は、いわゆる“フツーのみんなが学べる”普通学校(学級)があり、そこに入れない人のために特殊学校(学級)を用意しています。
ところが、“フツーのみんなが学べる”課程を学べない人を、知的や身体的な障害を持つ人にあてはめるという考え方からスタートしたようです。

つまり、教育を受ける対象は
①知的や身体的な障害を持たない人
②知的や身体的な障害を持つ人
という分け方です。

<本文引用>------------
特別な事情がない限り、国によって男女の子どもの比率や、義務教育年齢などには差はないかでも大きくはない。しかし、特殊教育を受けている子どもの割合は国によってかなり違う(次ページのOECDの資料参照)。例えば、日本では、子どもの総人口のうち約一%、正確には一・三%(文部科学省、二〇〇一)が特殊教育を受けているのに対して、アメりカでのそれは 、約一〇%である。 一二%という統計もある。信じがたいかもしれないが一○倍ほどの差がある。これは例えば、アメリカには、日本の一〇倍の割合でダウン症候群の子どもがいるということではない。自閉症もしかりで、ある特定の障害を持つ人数の割合が、国によって一〇倍の差を生じることは生物学的にありえない。それでは、その差はどこからくるのか。
その差は、特殊教育というサービスを受けている子どもの割合の差なのである。つまり、その国がどの範囲の子どもにまで特殊教育を提供しているかがこの一〇倍という差になる。(本文より)
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現代心理学では、アメリカは世界をリードしているとさえれています。
心理学には教育心理学、認知心理学、神経心理学などさまざまな応用心理学を持っています。
アメリカが「学習障害」に目を向け、一歩リードしているのは頷けますね。

本作では「学習障害」を様々な事例を挙げて紹介しています。

<本文引用>------------
また日常的な状態での算数は、大の苦手であった。「チョコレート一つとガムを一つ買いにいくのだけど、お金をいくらくらい持っていけばいいかな?」……「二〇円くらい? 二〇〇円くらい? それとも二〇〇〇円くらい?」と尋ねると、すぐには答えられず、しばらくして「一万円?」などと答えてしまう。でも、「一〇〇〇円引く五六二円は?」の問いに、「四三八円」と答えるのに数秒とかからない。数学の機械的な扱いはすばらしいが、それが生活のなかで十分活かされていないのだ。(本文より)
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「一〇〇〇円引く五六二円は?」に「四三八円」と即答できるが、「チョコレート一つとガムを一つ買いにいくのだけど、お金をいくらくらい持っていけばいいかな?」に答えられない。

算数と文章を組み合わせて考えることが出来ないんですね。

残念ながら、このような人に、私は出会ったことがありません。
そういえば、昔、ダスティン・ホフマンとトム・クルーズが主演した映画『レインマン』で、「サバン症候群(Savant Syndrome)」というものを知りました。

<本文引用>------------
サバン症候群(Savant Syndrome)という診断を受けた人たちがいる。知的障害等があるにもかかわらず、音楽や絵画等のある能力において人並みはずれて優れている人として、紹介する本もいくつか出されている。(本文より)
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サバン症候群は明らかに知的障害等が顕在しているわけですが、「学習障害」とは、ここが決定的に違うんですね。


小学校のころ、「あの子は学習障害だったのかなあ」と思い浮かべることがあります。
悲しいことに、イジメの対象になっていたような記憶があります。

<本文引用>------------
例えば、「お子さんの様子について」では、三歳までに半数以上の親が子どもの様子に何らかの不安を抱き、就学時には八〇%近くが何らかの違いに気がついているという。また、それは、言葉の発達の遅れ、読みや書字が苦手であること、多動や落ち着きのなさ等の気になる行動によるという。しかしながら、九〇%近くが、就学時検診や小学校入学に際して、学校側に相談されたり、反対に指摘されたりしたことはなかったとしている。つまり、保護者は早い時期から少しばかり気にはなるが、それほどめだつというわけではなく、その段階では学校としても特に特別な教育的支援が必要な子どもという捉え方にはなっていないことがわかる。このことから、保護者のより確かな捉えと、学校や教育センター等と連携した早い時期からの教育相談の重要性が見えてくる。(本文より)
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本作を読んでいると、日本も「学習障害」の存在に気が付き、段々と体制を充実させてきているようです。
「学習障害」の子どもたちが、残酷な子どもの集団の中に放り込まれ、イジメの対象になったり、そこからイジメる側になったりすることなく、特性にあった教育が発展することを願うばかりです。


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■読んだきっかけ:図書館
■読んで知ったこと:サバン症候群の知的障害等を支援した結果、驚異的に優れていた能力が退行してしまうケースがある。
■今度読みたくなった作品:『LD(学習障害)とディスレクシア(読み書き障害) 子供たちの「学び」と「個性」』上野一彦
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『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』

人気ゲームのタイトル「龍が如く」は実は文法的には誤り。

私は英語が苦手です。
翻訳者の本のレビューを見ると、たまに、「やっぱり、原書(つまり英語)じゃないと意味はわからないよね~」なんて書き込みがあります。
正直、ガクッとしてしまいます。
私は古典が好きです。
『平家物語』の出だしのような、まるで音楽を聴いているようなリズム感は、やはり原書でないとわかりません。
でも、『平家物語』の内容を「原書(つまり古文そのもの」でつかんでいるかと言えば、そうではなく、結構、現代後の翻訳文のほうでつかんだりしています。

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書名:『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』
著者:勝又基(編)
出版:文学通信(2019.09)
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著者は孝子伝、落語・講談、写本文化、昔話絵本なとを専門とする明星大学教授。
2019年1月に開催された公開シンポジウム「古典は本当に必要なのか」で繰り広げられた論争をまとめるとともに、高校教育における古典の扱いについて問題提起します。


本作は2019年1月の公開シンポジウム「古典は本当に必要なのか」で繰り広げられた論争を中心に、さらに参加したパネリストの主張を別途加え、最後に本作の編者がまとめるといったスタイルを取っています。
パネリストは全員が国語教育に係わっている人たちで、国語教育を否定している人はいません。
ただ、必須科目としての「古典」の扱いについて、意見を戦わせます。


否定は国語教育に求められているものは何かを主張します。

<本文引用>------------
ではリテラシーの部分は何か。これを教えてほしいという内容ですね。(図13)例えば新聞の論説の中では、新聞によっていろんなことを主張しています。いろいろなことが書いてあるんだけれども、これはいったい一言で言ったら何なのか。この逆の意見、反対意見は何なのか。こういうことをまとめる力というのは非常に大事だと思います。すでに国語の授業の中でも教えられていると思うんですが、教えていただきたい。あるいは会社に入るといきなり「ビジネス上のメールを書きなさい」ということが起こります。友達との間のメールは日常生活の中でやっているんですけれども、お客さまと予算の話とかあるいは製品の仕様を話し合う。それが正しく伝えられるか。そういうメールの書き方。いまもシンボジウムで、こういう議事を行っているわけですけれども、議事の進め方。国会は全然うまくいっていないですよね。野次を飛ばしたり、議長が指名もしないのに発言をするなど、全くなっていない話で、こういうことを国語の話として教えてもらいたい。プレゼンのやり方もそうです。
(図13)
リテラシー ――これを教えてほしい
・ 論説の主張点と反対意見のまとめ方
・ (仕事上の)メールの書き方
・ 会議(議事)の進め方
・ 議論、プレゼンの方法
・ 提案書、報告書、論文の書き方
・ 誤解のない文章の作り方
   「人生に古典は必要か?」
     ・「あなたのとって」」なの?「全ての人にとって」なの?
     ・「必要な人もいる」という意味?「必須」という意味?
(本文より)
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これには私も賛成です。
数学だって、ちょっと複雑な問題になると、かならず文章問題になります。

文章問題になるということは、文章の意味そのものがわからなければ、問題そのものを解くことができないのですから。

さらに、畳みかけます。

<本文引用>------------
古典は世の中に必要だ、高校必修にももちろん必要だ、と考える方は読者の中に少なくないはずだ。そして、それぞれにそう思う理由がおありだと思う。その「理由」に、次の3つの質問をぶつけてみていただきたい。
「でもそのことは、古典(古文)じゃなくても教えられ(学べ)るんじゃないですか?」
「でもそれは、原文じゃなきゃいけないんですか?」
「だからといって、必修じゃないといけないんですか?」
この3つの問いに答えを持たない擁護論は、当日の否定派パネリストの前では瞬殺されたはずだ。それだけ否定派は考え抜いて来たし、「高校必修から外せ」という攻防戦においては、確固たる論陣を張って来たのである。(本文より)
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冒頭のわたしの『平家物語』の理解を思い出します。
リズムは原書でつかんでいますが、「どんな内容ですか?」と聞かれて答えるときの知識のベースは、やはり翻訳になりますね。


以前読んだ『道徳感情論』
アダム・スミスの名著で、これも古典の一つでしょう。
原書はもちろん無理ですが、翻訳が実は3社から出ています。
一番有名なのは「岩波文庫版」、次に「講談社版」、そして、もっとも最近出たのが「日経BP社版」。
Amazonレビューを読むと「岩波文庫版」が一番原書に近いと評判です。
手に取って一部の文章を比較したのですが、読みやすさは予想通り「日経BP社版」、次いで「講談社版」、そして、ラストが「岩波文庫版」でした。

理解するの「読みやすさ」って重要だと思うのです。


肯定派の意見も一定うなずける点はあるのですが、どちらかというと情緒的な背景による理由が多いように感じました。


私、現在、放送大学の学生ですが、古典に関する授業もあり、大人になってから勉強するチャンスはいくらでもあるように思います。

古典が好きな私。
「古典を勉強する必要はあると思いますか?」と言われたら、まちがいなく「あります!」と応えるでしょう。
でも、「古典はどの教科に入れるべきですか?」と言われたら、「芸術ですかねえ~」と応えるでしょう。


◆頭の中でシンクロした過去の完読作品
『道徳感情論』 
『これで古典がよくわかる』 

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■読んだきっかけ:HONZ
■読んで知ったこと:人気ゲームのタイトル「龍が如く」は実は文法的には誤り。
■今度読みたくなった作品:『古典文学の常識を疑う』松田浩
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